2016年11月27日

#08 藤野興一さん

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(ふじの・こういち)
1941年、鳥取県生まれ。同志社大学卒業。学生運動、労働運動を経て、1976年、鳥取こども学園の児童指導員となる。1994年、情緒障害児短期治療施設「鳥取こども学園希望館」の開設に関わる。現在、社会福祉法人鳥取こども学園常務理事・園長。

鳥取こども学園:前身は、鳥取孤児院・育児院(1906年創設)。1949年、財団法人「鳥取子ども学園」に名称改称。1952年、社会福祉法人へ組織変更。ゆったりとした敷地内に、児童養護施設、乳児院、保育所、情短施設、診療所、養育研究所などを開設、その他、自立援助ホーム、若者サポートステーション、作業所など幅広く児童・青年のための福祉施設を運営。

インタビュー日時:2016年10月3日
聞き手:増田良枝、関川ゆう子
場所:全国社会福祉協議会種別談話室(東京都千代田区)
写真撮影:関川ゆう子
まとめ:増田良枝、関川ゆう子

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〈テキスト本文〉

増田:はじめに、鳥取こども学園とご自身についてうかがいたいと思います。

藤野:僕は孤児院の住込み職員の子どもだったものですから、戦後、まわりがみんな戦災孤児の時代に、自分だけが目の前に親がいるので、逆に、非常に不便な思いをして育ちました。ですから、施設のなかで生まれて、そのなかで育って、ずっと施設と関わってきたんですね。そのことが、いまに活きているのかなと思っています。
 大学は、同志社の福祉を選びました。1960年入学ですから、学生運動の時代です。学友会という全学自治会の委員長までやっていたんですが、60年安保で挫折を味わいました。その後、やっぱり労働運動だということで、全電通労働組合という、電電公社(現NTT)の労働組合の専従書記として入りました。当時、ILO(国際労働機関)で、在籍専従(組合員が勤務先に籍をおいたまま、労働組合の専従者になること)が廃止になって、そういうなかで大卒の専従を募集するというので書記になったんです。先だって亡くなった日本労働組合総連合会初代会長の山岸章さん(1929〜2016)が、当時は書記長的なことをやっておられました。

増田:藤野さんが、児童養護施設それから情緒障害児短期治療施設をやってこられた理由が、なんとなくわかりました。

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posted by 不登校新聞社 at 20:21| Comment(0) | 施設関係