2018年06月25日

#41 伊藤書佳さん

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(いとう・ふみか)
1969年、東京都立川市生まれ、千葉県木更津市で育つ。中学校2年生より学校に行かなくなり、『学校解放新聞』の編集に関わるようになる。中学校卒業後も、「学校に行かないで生きてみよう、実験してみよう」と思い、進学はしなかった。1993年から2008年まで、雑誌『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』(ジャパンマシニスト社)の編集に携わっていた。『安心ひきこもりライフ』(勝山実/太田出版2011)の編集も手がけた。現在は雑誌『教育と文化』(教育文化総合研究所)の編集に携わる。「不登校・ひきこもりについて当事者と語り合ういけふくろうの会」の世話人のひとり。著書に『超ウルトラ原発子ども―ゲンパツは止められるよ』(ジャパンマシニスト社1989)。

インタビュー日時:2018年2月20日
聞き手:山下耕平、山田潤、栗田隆子
場 所:大阪ボランティア協会
写真撮影:山下耕平

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〈テキスト本文〉

山下 今日はよろしくお願いします。不登校経験についてうかがう前に、まずは生い立ちからうかがえますでしょうか。

伊藤 1969年、東京都立川市で生まれたんですが、父の仕事の都合で2歳ごろに佐賀県に、4歳ごろに東京都大田区に引っ越して、小学校2年生の夏休みに千葉県の木更津に引っ越して、その後は木更津で育ちました。

山下 お父さんのお仕事は?

伊藤 法律関係の仕事をしていました。

山下 小学校はどんな感じだったんでしょう。

伊藤 小学校に入学したのは1975年です。学校は楽しかったのですが、よくおなかが痛くなって保健室で寝ていることもあったから、そんなになじんでいたわけでもなかったのかもしれないですね。
 小学校2年生で木更津に引っ越してきて、転校生なので、後ろからランドセルをキックされたり、鉛筆を折られたり、そういうことはありました。でも、それでダメージを受けるという感じではなくて、「イヤだな」「やめてよ」って思ったり言ったりしながら、わりと楽しくやってたと思います。宵っ張りなので、よく寝坊はしてましたけど。

山下 小学校のことで、ほかに覚えてることがあれば。

伊藤 6年生になって、ものすごく体罰をふるう30代の男性教員が担任になったんです。一学期が始まってすぐのころ、その先生がロッカーからランドセルがはみ出しているのを見つけて、そのランドセルを3階の教室の窓から下に投げて、持ち主の子の胸ぐらをつかんで揺すった。生徒を殴ることもあって、しかも「殴るときはおなかを殴るんだ、跡がつかないから」と言っていたり、緊張感の高い毎日でした。
 クラスには、知的障害のあるKくんという子がいて、ふだんから先生はその子のことをからかっていていやでした。Kくんはとても細かったんですけど、あるとき理科の授業の際に、骸骨の見本の横にKくんを上半身裸にさせて並ばせて、あばら骨を見させたりしていました。そのときの授業のようすが卒業アルバムに載っているんです。

山田 ちょっと信じられないね。

山下 ご自身がやられたことはあったんですか。

伊藤 赤白帽子のゴムが伸びていて、かぶらないで首にひっかけていたら、「なんで、かぶってないんだよ」って、いきなり帽子のゴムをぐうっと引っぱられて、首が絞まって「苦しい」と泣いたことはありました。
 小食で食パンをぜんぶ食べきれずに持ち帰ったりしていたのですが、その先生のときは残しちゃいけないから無理やり食べて、それはすごくつらかったですね。食べられないものがある子は、ずっと座らされたり、無理やり顔を皿に押しつけられて「食べろ」と言われことがあるので、必死で食べていました。
 でも、そういったことを体罰と呼ぶというのも知らなかったし、ほかにも殴る先生もいるし、先生にはそういう人もいるんだと思ってました。
 あるとき、おなかを殴られた子のお母さんが抗議しに来たんです。そうしたら、そのお母さんが帰ったあと、帰りの会で「○○のお母さんは頭がおかしい」と言って、みんなの前で非難したんです。親に言っても、もっとひどいことになってしまう。親が変に言われちゃうし、ガマンするしかないのかなって。それでも、友だちといっしょに教育委員会に言いに行こうかって話したことがありました。

山下 それは、子どもたちどうしで思いついたことだったんですか。

伊藤 そう。

山下 親に言うとか、校長に言うとかではなくて、教育委員会にというのは、お父さんが法律の仕事をしていたから、そういう発想が出てきたんでしょうか。

伊藤 いや、私じゃなくて、友だちが言い出したんです。それぐらい、学校全体が先生の味方という感じがあったんです。一度、隣のクラスの先生に相談したんだけど、「そうだよね、でもしょうがないよね」みたいになぐさめられただけでした。親のなかには、「うちの子が悪かったら、先生どうぞ殴ってください」という人もいました。

山田 ある時期までは、学校の教師というのは、めちゃくちゃしてたよね。いまの学校からは信じられないくらい。

伊藤 圧倒的に力関係がハッキリしてたと思います。いまとは先生の位置づけがちがうように思います。教育委員会に言いに行こうという話が出たのも、どこに言えば、この状況から助けてもらえるのかわからなかったからで、いわば、お上に直訴する感じだったのかもしれません。結局は言いに行かなかったんですけどね。つづきを読む
posted by 不登校新聞社 at 08:29| Comment(0) | 当事者