2017年03月01日

#13 保坂亨さん

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(ほさか・とおる)
1956年、東京生まれ。1983年、東京大学大学院教育学研究科博士課程中退。東京大学教育学部助手(学生相談所専任相談員)、千葉大学教育学部講師、同助教授を経て、2002年より同教授、2013年より同大学教育学部附属教員養成開発センター長。千葉市教育委員会いじめ等の対策及び調査委員会委員長、子どもの虹情報研修センター企画評価委員。著書に『学校を欠席する子どもたち―長期欠席・不登校から学校教育を考える』(東京大学出版会2000)、『“学校を休む”児童生徒の欠席と教員の休職』(学事出版2008)『いま、思春期を問い直す―グレーゾーンにたつ子どもたち』(東京大学出版会2010)など。

インタビュー日時:2016年10月14日
場 所:東京シューレ葛飾中学校
聞き手:奥地圭子、松島裕之
写真撮影:松島裕之
記事公開日:2017年3月1日

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〈テキスト本文〉

奥地 本プロジェクトは、文部科学省の学校基本調査で不登校(学校ぎらい)の児童生徒数の調査が始まって50年ということで始めたものです。保坂先生は、このあたりを研究されているので、なぜ、この調査が1966年に始まったのか、その時代背景、用語や表現の問題についてなど、うかがいたいと思っています。よろしくお願いします。

保坂 はい、よろしくお願いします。

奥地 そもそも、なぜ不登校に関心を持たれたのでしょうか。

保坂 2008年に『学校を休む℃剴カ生徒の欠席と教員の休職』(学事出版)という本を出していて、その略歴なども読んでいただくとよいのですが、まず何より、自分も学校をよく休んでいたからです。とにかくよく休みました。なぜ不登校に関心を持ったのかと言えば、根っこはそこにあると思います。

奥地 それは、いつごろのことでしょう?

保坂 小・中学校は病気でよく休んで、高校は積極的に休み、大学が一番行かなかったです。大学院からまっとうに通うようになりました。小学校入学は1962年だったので、60年代から70年代にかけてですね。

奥地 なるほど。中学卒業が1972年ですね。そのころのまわりの対応というのはどんな感じだったんでしょうか。病気だったとのことですから、いわゆる「病欠」ということになりますでしょうか。

保坂 そうですね。とくに小学校6年生のときは盲腸で入院して休んでいたので、1年間で50日以上休んでいる数少ない子どもの一人だったと思います。でも、両親が教員だったということもあって、当時は、学校を休むことは、すごくいけないことだと感じていました。学校を休む子なんてほとんどいなかったですからね。

奥地 そうですよね。病気など仕方のない理由があっても、肩身の狭い思いをされていたんじゃないかと思います。ところで、大学院以降のご専攻をお聞きしたいのですが。

●不登校の歴史を研究

保坂 教育相談、臨床心理、カウンセリングです。子どもたちを援助する側にまわったわけです。

奥地 なるほど。おもな研究としては、不登校をめぐる歴史、現状や課題ということでよろしいでしょうか。

保坂 そうですね、歴史というのはめずらしかったようです。今日は、60年代のことを話すということでよろしいんですか?

奥地 はい、ぜひそのころのことをお聞きしたいと。これは、よく不登校のことを話すときに出てくるグラフ(図1)なんですが。

保坂 はい、出てくるんじゃないかと思って私も持ってきました。ただ、これはおかしいと私は思っているんです。ほんとうはデータは1952年からあって、そのデータも入れてグラフをつくると(図2)、戦後すぐは長期欠席者数が多く、その後いったんは減ってまた増えるU字型になっているんです。これも重ねて出さないと誤解を生むんじゃないかと言ってきました。

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図1

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図2


奥地 戦後すぐに長期欠席が多いのは、たとえば住む家がないとか親がいないとか、そういう社会状況がありましたよね。しかし、今でいう不登校は、1966年から調査対象となったわけですね。一人ひとりの問題としては、それ以前にもあったわけですが、ここで日本社会が不登校というものと直面してくることになったと言えると思います。なぜ、1966年に調査が始まったんでしょうか。文部科学省に問い合わせてみても、そのころの事情がわかる方は見つからず、わかりませんでした。


●とだえた「学校ぎらい」

保坂 年間50日以上の長期欠席を調査したものは、1952〜1958年にもありました(公立小学校・中学校長期欠席児童生徒調査)。そこに欠席理由の分類もあり、おもには貧困でしたが、実は「学校ぎらい」という項目もすでにあったんです。ただし、その当時の「学校ぎらい」は、たとえば学校に履いていく靴がなくてバカにされるとか、そういう経済的な理由も含むものでした。しかし、その分類はいったんとだえるんですね。長期欠席の子どもの人数自体が減って、細かく分類する必要がなくなったんです。厳密に言うと1949年度から調査はありますが、1学期で50日以上で、基準がちがっています。

奥地 ちょうど義務教育制度が整ったあたりですね。

保坂 そうですね、1947年に新制中学校ができて、中学3年まで整ったところで、長期欠席を調べることになったんじゃないかと思います。制度が整っても、実際には、生徒は来ていなかったんですよね。

奥地 「学校ぎらい」という項目はあっても、当時は、それを分けて問題視するということはなかったわけですね。

保坂 結局は貧困問題だという大雑把なくくりです。当時は経済的理由で子どもを学校に行かせる余裕のない家庭も多かったですから。

奥地 私も戦後すぐから50年代にかけて小・中学生だったのですが、すごく貧しくて、お弁当もろくに持っていけないということもありましたからよくわかります。当時も、いまの不登校に相当する人は「学校ぎらい」に入っていたんでしょうか。

保坂 入っていたのかもしれません。ただ、当時の資料を読んでいても、ほとんど出てきません。長期欠席調査は、1958年で、いったん終えます。その後、学校基本調査の中に取り込みました。学校基本調査は1948年から始まってますが、長期欠席の調査が組み込まれたのは、1959年からです。そのときに欠席理由は「病気」「経済的理由」「その他」の3つに分類されたんです。そして1966年から「学校ぎらい」という項目も復活したということです。

奥地 なるほど、いったんはあまり区別も意味がないと思ってなくなったものが、再び1966年に復活したんですね。その間に「やっぱり気になる」というようなことがあったんでしょうか?

保坂 復活した理由は今からではわかりませんね。おもしろいなと思うのは、経済学の分野では、1965年ごろが高度経済成長期の真ん中で、そこで日本の貧困の概念が、それまでの絶対的貧困から相対的貧困に変わってきたと言われているんです。ただ、それが「学校ぎらい」が復活したことには直結しているわけではありませんが。
 1950年代末から1960年代初頭にかけて、精神科医や心理学者も「登校拒否」とか「学校恐怖症」と言い出したわけですね。佐藤修策さんが一番最初に使ったのが1959年「神経症的登校拒否の研究」ですね。同じく1959年には、精神科医の鷲見たえ子さんや高木隆郎さんが「学校恐怖症」という言葉を使い始めています。

奥地 どうしてこのころ、いろんな言葉が出てきたんでしょうか。

保坂 おそらく、精神科医や心理の人たちはあえて「学校ぎらい」という言葉を使わなかったんです。1950年代の調査での「学校ぎらい」が、多分に経済的理由を含むものだったからです。そのかわり、アメリカではやり始めていたschool phobiaを学校恐怖症と訳して使っていたんじゃないかと思います。

奥地 「学校ぎらい」というのは文部省(当時)が言い出したんですか?

保坂 1966年に、当時の文部省の担当者がどうして「学校ぎらい」を使ったのかはわからないですが、たぶん50年代の調査項目をそのまま使ったんじゃないかと思います。ただ、文部省の調査で「学校ぎらい」が使われていなかった6〜7年のあいだに、「学校ぎらい」の中身が、経済的なものから心の問題である登校拒否になっちゃったというのが、僕の解釈です。

奥地 では、グラフとしては一続きでも、最初と後では中身がちがうということでしょうか。

保坂 その可能性もありますね。1998年には「学校ぎらい」がそのまま「不登校」に名称変更されてますから、よけいに「学校ぎらい=不登校」になっていますよね。


●登校拒否という名前は

奥地 その前に「登校拒否」もありますね。

保坂 そうですね、調査では使っていないですが、通知などでは出てきます。1980年代には文部省は「学校ぎらい」は登校拒否のことだと言っていますが、おそらく1966年に復活させたときから「学校ぎらい=登校拒否」になっちゃったんだと思います。

奥地 保坂先生は『不登校をめぐる歴史・現状・課題』という論文(教育心理学年報第41集2002)で「この『学校ぎらい』の数が『登校拒否』とされ、以来これが一般的には登校拒否の全国調査として定着する」と書かれてますね。また「欧米においては学校恐怖症という名称が多くの研究者に使われていたのに対して、わが国では登校拒否という名称の方が一般に広まっていった。」とも書かれています。 もともと欧米を参考にして研究が始まったものの、学校恐怖症と登校拒否というちがいは、なぜ生まれているのでしょう?

保坂 ひとつには、精神分析的な色合いが強いのをきらったということもあるでしょう。それと、児童精神科医たちも大学紛争時代を潜り抜けてきたアンチ世代なので、その人たちが登校拒否≠ニいう名称を広げたんじゃないかという人もいます。

奥地 なるほど、そこから「登校拒否」という言葉にも何となく違和感を感じる人が現れて「不登校」という言葉にもなっていくわけですね。私の息子が行かなくなったころは「登校拒否」と言っていましたけど、(同席者の)松島さんのときはどうでしたか?

松島 私は1992年から学校に行かなくなったんですが、ちょうど両方使われている時期で、母も、親の会で「どっちの言い方のほうがよいか」なんて話をしていたと言っていました。

奥地 ちょうど文部省が「不登校はどの子にも起こりうる」と認識転換をしたころですね。

松島 そうですね。その当時、親がどこまで知っていたのかはわかりませんが、親の会で議論があったというのも、私が行かなくなって数年経ったころだったかもしれません。

保坂 ちょうどそのころ、私も院生から教育相談の専門家になったんですが、あのころは、「学校に行かせることが治すことなの?」と考える援助者がいっぱい出てきた時代でしたよね。「登校拒否」というのは、アンチ、あえていかないというイメージでついた名前だったのに、やっぱり行かない子どもや親のほうが悪いというニュアンスがしみついちゃっていて、それをおかしいと考えた人たちが「不登校」という言葉を使うようになったんだと思います。

奥地 悪いイメージではない言葉にしようということですね。

松島 登校拒否というと、あくまでも学校に行くことが前提で、それを拒否している印象が強くて、本人としてはどう呼ばれようと実際は変わらないんですが、不登校のほうが、たんに学校に行っていないという状態を表しただけの言葉なので、どちらかを選ぶならそこによけいな価値観が入ってない不登校のほうがしっくりくると、私も感じてました。

保坂 一部にはもっと積極的に「治療すべきは学校のほうだ」と言っている人たちもいて、その人たちが「不登校」という言葉をはっきりと支持していたという印象があります。


●登校拒否=怠け?

奥地 それで「不登校」という言葉が多く使われるようになるわけですが、もともとは長期欠席というと「怠学」というのがまず想定されて、そこから分ける意図もあったのではないかと書いておられますね。東京シューレをつくった1985年ごろには、学校の先生への調査の結果、不登校の理由は怠けが一番の理由だと報道されていました。それでシューレの子たちも「怠けてるにしちゃ苦しいよ」「怠けだったらこんなに悩まないよ」と思って、全国の登校拒否の子どもに聞いてみようとアンケートを実施してました。「怠け」という見方は長いこと続いていたんでしょうか?

保坂 長いこと続いていたかは微妙ですね。欧米では経済的理由より先に、怠学のモデルからスタートしているんですね。そこから切り離すために、心理的要因で来ない子を「学校恐怖症」と名づけた。日本もその概念を採り入れましたが、むしろその前の時代は「怠けていかない」という見方はなかったのではないかと思います。

奥地 70〜80年代は「怠け」という見方が強かったですが。

保坂 そのもっと前、ご自身が子どものころはどうでしたか。

奥地 たしかに、そのころは家庭の事情とか、そういうふうでしたね。

保坂 そうなんです。「学校ぎらい」と言っても、その中身は経済的理由だったところから始まって、登校拒否という概念とともに「怠け」という見方も出てきているんです。調査が進むにつれて「学校ぎらい」があまりにも増えてくる。そこで文部省のなかで生徒指導室が出てきて「学校ぎらい」のなかに、いろんなタイプが混ざっているからと、怠けと怠け以外を区分して調査し始めるんですね。学校基本調査では「病気」「経済的理由」「学校ぎらい」「その他」の4分類ですが、それに加えて「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」では、「学校ぎらい」の要因を、さらに細かく区分して調査しています。

奥地 それは生徒指導室が始めたんですね。

保坂 そうです。いま、奥地さんが「登校拒否=怠け」と言われていたのは、80年代半ば〜90年代にかけてくらいですね。そのころ、私はすでに学校に関わっていたんですが、先生たちに「この子は学校に来ないんですが、怠けですか、登校拒否ですか」って、ほんとうによく聞かれました。

奥地 なるほど、理解の仕方がそうなっちゃったということですね。


●理由の分類は無意味

保坂 そういう枠組みで調べるわけですから、そうなりますよね。ただ、当時から不思議なんですが、学校に来ない子の「心理的理由」と「怠け」って別物なのかといえば疑問です。重なっている部分もあるじゃないですか。

奥地 難しいですよね、線引きは。

保坂 重なっているのに、調査では二分法になってしまっている。僕は、区分には意味がないと思っています。「50日以上休んだ」というのは明確な事実があるから、本人も保護者も納得できる。僕だって、小学校のときは休んでましたしね。だけど、そこに理由をつけるとなると、僕の場合は病気ということになります。でも、入院で休んだ日もあるけど、それ以外にもしょっちゅう休んでいたから、合計して50日以上になるわけですよね。欠席の理由を一つでくくるのは無理があると思います。だからかもしれませんが、いつのまにか「複合要因」というのが出てきて、いまはそれが一番多くなっています。つまりは意味がないんです。だから、僕はやめちゃえばいいって言っているんですけど、始めちゃった調査って、なかなかやめられないんですね、先生に負担をかけているだけなのに。それに、学校に通っている子たちだって、欠席の理由を学校になんてつけられているかは知らないと思うんですよね。

奥地 知らないですね。

保坂 それって不愉快じゃないですか。自分が休んでいる理由を向こうが勝手に決めてつけていて、それが今でも続いている。文部科学省に異議申し立てしてもいいことですよね。

奥地 非常に悩ましいところです。私たちも東京シューレ葛飾中学校を開いてますが、学校なので調査に応えないといけません。欠席理由も何かはつけないといけないので非常に悩みながらやっています。それを親には知らせていないですね。

保坂 学校基本調査の4分類だけじゃないんですか? 生徒指導室の問題行動等調査は来ていないと思っていましたが、公立扱いなんですか?

奥地 公立扱いというと?

保坂 実は私立は細かい調査はやっていなくて、学校基本調査の4分類だけなんです。そのなかの不登校(97年以前は「学校ぎらい」)の子だけを拾って細かく調査をしているのが生徒指導室なんですが、生徒指導室の傘下にあるのは公立学校だけだから私立の学校は調査していないんです。

松島 生徒指導室の調査というのは「問題行動等調査」ですね。

保坂 そうです。あの膨大な質問のめんどうくさいやつ(笑)。以前から「やめちゃえばいいのに」と言ってるんですが。

奥地 調査は実態を表していないということですね。

保坂 一番実態を表していないのは、学校には来ているけど教室には入っていない子がいっぱいいることなんです。なかには、学校には毎日来ていて皆勤だけど、教室には入れない子もいるんですから。たとえば保健室登校なんかもそうですね。

奥地 これも難しいですよね、調査をしようにも変動があるわけだし、そもそも実態を調査すること自体、難しいんですね。


●出席・欠席の定義は

保坂 それともう一つ、「出席・欠席」って、実は定義されていないんですよ。たとえば、行かない子を無理やり連れて行って校門にタッチさせたら出席になったじゃないですか。あと、放課後担任にあったら出席とかね。

奥地 「校門タッチ」ですね。親の会では、苦情の声が多くあがってました。

松島 フリースクールに来ている子たちの出席扱いも、ある先生は「あくまでも出席扱い≠セから毎日フリースクールに通っていても不登校になる」と言うし、ある先生は「学校の授業日数分フリースクールに行けば不登校にはならない」って言うんですよね。

保坂 そう、そこもグレーなんです。

奥地 IT等を活用して、家で学習したことを確認できたら出席扱いになるというのもありますね。それで助かる子がいるから、私たちも活用していますが、家にいるんですから完全に欠席ですよね。

保坂 ITは一番もめて、最後にようやく認めたんですね。でも、もう認めざるを得なかったんだと思いますよ。

奥地 家で勉強している子もいるわけですからね。そう考えると、たしかに出席と欠席の定義というのは難しいわけですね。

保坂 高校生の不登校も2004年度から調査するようになりましたが、高校生って学校に来れば出席にはなりますが、授業に出てないと単位とれないでしょう。だけど、毎日学校に来たから皆勤賞ほしいっていう子がいて、もめたりしています。そういうことがあちこちで起きているんです。
 不登校が増えていないというのも、学校には来るけど教室には入れないという子の数を含めてないからでしょうね。そこを入れると、裾野はもっと広がっているんじゃないかと思います。推測の域を出ないですが。


●現場で調査してみたら

奥地 保坂先生は、ご自分でも調査をされていますね。現場に入って9年かけて調査したということですが、その結果は国の出している数とちがうところはあったんでしょうか。

保坂 まったく、ちがいましたね。89年〜91年にかけて3年間、坂本昇一千葉大教授がチームをつくって調査したんですが、私は、その年に偶然、千葉大に着任したんです。それで、若手で不登校を研究しているのがいるというので、最初からそのチームに入れられたんです。

奥地 坂本さんは、児童生徒の問題行動等に関する調査研究協力者会議の座長をなさっていましたよね。

保坂 そうです。坂本先生が座長で、その協力者会議のなかに千葉市の教育長も入っていたんです。それで千葉市での調査を依頼したら快諾いただいたんです。原簿までぜんぶ見せていただきました。そうすると、「これって病気なの?」とか「これがどうして不登校なの?」っていうケースがたくさんあって、分類がめちゃくちゃだということが、よくわかったんです。

奥地 なるほど。

保坂 ですから、見方によっては、ぜんぶ不登校なんじゃないかと思ったんです。90%以上は不登校と言ってもいいと思いました。欠席日数だけを調べて理由はいらないと思った最初のきっかけは、そのときでした。

奥地 現場に行ってそう思ったわけですね。

保坂 先生たちは、ほんとうに困っているんだな、苦労しているんだなと思いましたね。それで、『学校を欠席する子どもたち―長期欠席・不登校から学校教育を考える 』(東京大学出版会2000)を書いたんですが、教育行政には受けいれられなかったですね。反文科省的な意見なんでしょうね。だから、僕は文科省の不登校関係の会議には呼ばれないです(笑)。


●学校環境が問題

奥地 そうなんですか(笑)。ご著書では、長期欠席と学校環境との関係も指摘されてますが。

保坂 不登校について、子どもがや保護者が責められてた時代から、学校が変なんじゃないかという声が大きくなった時代に、僕は研究のスタートを切っているんですね。自分も行っていなかったし、学校ってそんないいところなの? という疑問を持ってスタートしたから、原因は学校側なんじゃないのと思ったわけです。

奥地 でも、そういう研究はなかったんですね。

保坂 なかったですね。いくら調べてもなくて、それが不思議でした。それで、いろいろ調べてみると、長期欠席は大きな学校に多いし、学校の先生がころころ変わる学校に多いことがわかってきました。

奥地 大きな学校は管理的になっちゃうんでしょうね。

保坂 そうですね。だいたい、みなさんが感じていることをデータとして出せたと思いますが、まったくと言っていいほど、注目されなかったですね。とくに僕のいた教育心理学では、ぜんぜん注目されませんでした。しかし、教育社会学の方には読まれていたというのを後から知って、僕も教育社会学会に入りました。心理学と社会学では見方がちがうからでしょうね。


●心理学の見方は自己責任

奥地 教育心理学から見た不登校というのは?

保坂 いまだにずっと、マスコミも含め、不登校=登校拒否=心の問題、という捉え方ですよね。個人の問題、個人の責任、学校に行けない子が悪いという見方です。そのなかでは、怠けなのか、心理的要因なのかは、あんまり意味がないですよね。どっちにしても本人のせいですから。

奥地 もちろん学校のあり方の問題もありますが、学校が本人にとってよかったとしても、「行かねばならない」っていうプレッシャーが、逆に行きにくくさせたりしますよね。そういうところも問題かなと思いますが。

保坂 奥地さんたちは以前から、そう言っておられますよね。ただ、それは研究者たちにはあまり支持されている印象はないですね。カウンセラーの先生たちは今でも「学校に戻す」治療をしているわけですしね。学校が問題と内心では思っていても、支援活動にそれが活きていない。9割方が、そうじゃないですかね。

奥地 そうなんですか。そうすると、研究者の立場からは、不登校をめぐって、どういう課題があると思いますか。

保坂 これだけ行かない子がいるんだから、学校側の要因、学校環境にどうして目がいかないのかがすごい不思議ですね。たとえば、クラス編成って、従来は2年間ずつで入れ替えでしたでしょう。しかし、いまは全国的に、クラス編成が1年で変わって、担任も替わるることが増えているんです。

奥地 それは親の会をやっていても感じます。

保坂 そうでしょう。でも、子どもたちからしてみれば、毎年、環境が変わるのは落ち着かないですよね。

奥地 そうですね。落ち着かないし、クラスが変わると仲良しとも離れちゃうし。

保坂 それが学校に行かない子を生み出しているかもしれないという発想を、どうして持たないのか、不思議です。日本の研究者はまったく注目してません。アメリカの研究者は注目していて、80年代には日本の教育が世界的に注目されていたから、「日本の小学校は2年間の編成で安定している」って書かれているんです。でも、日本の研究者は誰も言わない。

奥地 現場では感じています。不登校の親にとっても、不登校の話を毎年しなきゃいけないのは、すごくうっとおしいんですね。なかなかわかってもらえないし、先生どうしは連携してくれないし、やっとわかってくれたところで、また替わっちゃうわけですから。それは不登校も続くしかないよね、という話も出ています。

保坂 長野県では、3・3・3で、小学校で3年間ずつ、中学校3年間と、同じクラス同じ担任でやっている地域があるんです。でも、他県の先生は誰も知らないんです。交流もないし。

奥地 それは私も知りませんでした。毎年、クラス編成が変わるようになったのは、なぜなんでしょう。

保坂 きっかけは、90年代の学級崩壊だそうです。2年間持たなかったんですね。それで、学級編成は2年間同じで担任だけが替わるようになって(いまも、そういうところもありますが)、その後、クラス編成も変わるようになった。

奥地 なるほど。そういうことも含めて、学校環境に目を向けた研究をされているわけですね。

保坂 そうです。僕も、みんなでいっせいにというのは苦手でしたから、運動会もイヤだったし、卒業式も入学式も苦手だったのでね。不登校には親近感があるんです。でも、教員はいっせいに、というのが好きですよね。

奥地 動かしやすいっていうのはあるんでしょうね。これだけ学校と距離をとる子が多いんだから、学校のあり方を考えたほうがいい、ということですね。

保坂 そうしたら、日本の学校も、もっと変わったのになと思います。


●先生はグレーぎらい

奥地 そうですね。今後、保坂先生が取り組みたいと思っておられる研究は、どんなことでしょう。

保坂 たとえば、先ほど申し上げた、学校に来ていても教室に入れない子どもがどれくらいいるかという調査はしたいですね。それが表に出たら、もっと学校も変わるのではないかと思っています。

奥地 教室に入れない子を強引に教室に連れて行こうとして、保健室に鍵をかけるようなことも、まだありますからね。

保坂 そうですね。先生というのは、中途半端な状態に耐えられない人が多いようです。来ないんだったらまだしも、来てるのに教室に入らない状態というのは、先生にとって心地悪いらしいですね。

奥地 なぜ、これまで調査がなかったんでしょうね。

保坂 やっぱり、都合が悪いんじゃないですか。

奥地 やりにくさもあるでしょうし、指導力が問われるというのもあるんですかね。

保坂 両方ありますね、たぶん。

奥地 子どもたちはみんな学校に行っていると思われてますが、不登校にかぎらず、教室からはみ出している子は、どこにでもいるわけですよね。それって、おもしろい図だなと思いました。

保坂 もう少し言えば、学校に来ていても教室に入れない子が増えているということは、逆に、完全に来ない子は減っているんじゃないかと、ひそかに思っているんです。そのグレーゾーンの部分をやめちゃうと、学校に完全に来ない子が増えちゃう。そこはつながっているんじゃないかなと思っています。

奥地 そうですね。東京シューレ葛飾中学校では、休むのもありだし、学校に来て授業に出ないで自分の居やすいところで過ごしたり、「マイコース部屋」で勉強するのもありにしているんですね。非常に多様にしているわけです。ここに来ているのは、全員が不登校の経験者ですが、その子たちが通って来ているわけですから、それは言えると思います。

保坂 それも、いわばグレーゾーンじゃないですか。欠席と出席のあいだのグレーゾーン。でも、先生たちはグレーゾーンが苦手なんですよね。LGBTの問題も、なかなか学校の先生が理解しなかったというのも同じ背景があるように思います。

奥地 なるほど。最後にうかがいたいのですが、不登校の調査研究協力者会議で「不登校は問題行動ではない」という話になって、それに基づいて2016年9月に文科省から通知が出されました。そこでは「不登校児童生徒が悪いという根強い偏見を払拭」することが重要とも書かれています。文科省は、以前は不登校を問題行動と捉えて「治す」としていたわけですから、ずいぶん変わってきたと思います。学校現場はあんまり変わっていないんですが、文科省は変わり始めてきたなと思いますが、どう思われますか。

保坂 20〜30年という単位で見ると、文科省はよく変わったと思いますよ。支持したいくらいです。ただ、残念ながら、それが現場には下りていないですね。

奥地 現場が変わるには、時間がかかると思います。どう変えていいかわからないということもあるんじゃないでしょうか。学校のあり方を子どもの側から考えて、こう変えていったらもっと居やすくなりますよという研究を、今後もしていただきたいですし、学校以外のやり方も、もっと知られてほしいです。そういう変化は感じますか。

保坂 すごい変化なんじゃないかと思いますよ。不登校にかぎらず、LGBTの話でも、最近は文科省のほうが先を行っていると思います。

奥地 最近はそうですね。国は上から管理するところだと決めつけず、変わっているところを見て、それを現場に活かしてもらいたいなと思います。

保坂 同感です。

奥地 まだまだお聞きしたいこともたくさんありますが、お時間ということで、今日はこれまでにしたいと思います。どうもありがとうございました。
【インタビュー:学者の最新記事】
posted by 不登校新聞社 at 00:00| Comment(0) | インタビュー:学者
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