2018年02月19日

#33 小林剛さん

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(こばやし・つよし)
1934年、長野県生まれ。北海道大学大学院教育学研究科修士課程修了。北海道および長野県の公立高校国語科教諭を経て、福井大学教育学部教授、武庫川女子大学大学院臨床教育学研究科長を歴任。兵庫県立神出学園の設立計画に関わり、開校から現在に至るまで学園長を務めている。

聞き手:田中佑弥、山下耕平
記事編集:田中佑弥/写真撮影:山下耕平
インタビュー日時:2017年12月28日
場所:兵庫県立神出学園
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→PDF(組版データ)をダウンロード  33futoko50kobayashi.jpg
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〈テキスト本文〉

田中 インタビューの機会をいただき、ありがとうございます。神出学園については後ほどくわしくうかがいたいと思いますが、まずはご自身がどんな子どもであったかについて教えてください。

小林 出身は長野県の戸隠村です。現在は長野市に合併しちゃったんですが、長いことずっと村で、めずらしく村を残していたところなんですね。

山下 おそばで有名ですよね。

小林 そうそう。いまや観光地になりましたね。子ども時代はまさに信州の山のなかで育ちました。私はもともと、それほど体が丈夫ではなかったんですね。学校を休むことも多かったし、まわりの大人にずいぶん世話になることもあって、少年時代はそれほど活発に動きまわる子どもではなかったんです。したがって、学校のなかでも、どちらかというと目立たない、静かな存在だったと自分では思っています。活発に動けないので、学校の図書室に通って本をたくさん読んだりして、自分の体と心に合った子ども時代を自分なりにつくりだしていったのかなと思います。

田中 学校を休むことが多かったんですね。

小林 カゼをひくことが多かったんでね。学校には行きたいと思うけれども、体がそんな調子だから行けない。学校はきらいじゃないし、先生もとてもいい先生だったので、休むことにはたいへん罪悪感がありました。

田中 神出学園に来てる子たちにも、体調不良は多いのではないでしょうか?

小林 多いですね。

田中 おなかが痛くなる子とか、そういうのはわかるというか……。

小林 よくわかるんです。だから、僕の原点とつなぎ合わせて、子どもの側に立ってものを考えられるんですね。ここの学園長になったことは、僕の少年時代の生い立ちとつながっているような気がするんです。
 戸隠村は貧しい農家が多くて、うちも、ごたぶんに漏れず貧しい農家でありました。当時は、子どもというのは働き手として期待されていたんですが、僕はそんなに丈夫じゃないし、兄貴がいましたので、親が僕に労働を課すことはあまりなかったです。どちらかというと母親が保護してくれて、愛情たっぷりに育てられました。母親は、父親が非常に厳しいぶん――無償の愛という言葉があたるんじゃないかと思うんですが――ひたすら子どもをかわいがってくれました。「愛すること」「信じること」「待つこと」という3つのキーワードが僕の人生論で、これは僕の一生に関わってきたと思うんですけれども、いまでも神出学園のなかで大切にしています。


●北海道家庭学校との出会い

小林 僕は、新制中学の1期生だったんです。体があんまり丈夫じゃなかったこともあって、担任の先生が非常に目をかけてくれました。予科練あがりの若い先生でした。先生の下宿が僕の家の近くだったこともあり、「小林くん、今日は僕んとこへちょっと遊びに来ないか?」って、よく誘ってくれました。それで、おふくろがつくってくれた牡丹餅を持って先生のところへ行くようになりました。戦争というものがどんなにひどかったかっていう話を先生から聞きました。
 また、先生は(北海道大学の前身である札幌農学校の)クラーク博士をとても尊敬していたので、「小林くんは北海道大学に行って勉強しなさい」と勧めてくれました。当時、北海道っていうのは長野からすれば外国みたいに思われていました。だって、昭和20年代の終わりですからね。でも、非常に尊敬していた先生に盛んに言われて、期待に応えたいという思いもあって、長野高校に進学し、1年浪人して北海道大学に入りました。最初2年間は一般教養で、3年から学部に移るわけですが、僕は先生からの影響をあちこちで受けていたので教育学部に行き、砂澤喜代次先生のゼミに入りました。
 砂澤先生が「小林くん、いいところがあるから、いっしょに行こうぜ」って言うから、「どこへ行くんですか?」ってきいたら、「北海道家庭学校(*1)っていうのがあるんだよ。これはすごい学校だよ」と言うんですね。3年生の終わりぐらいだったと思いますが、先生と遠軽にある北海道家庭学校に行きました。谷昌恒先生(*2)が「よくこんな遠くまで来てくれた」って握手をしてくださってね。もう感動しました。挫折した子どもたちが、どのように自分の人生や青春を取りもどしていけるのかということについて、家庭学校からたくさんのヒントをもらいました。大学院では、もっぱら家庭学校に何回も通いました。

山下 北海道家庭学校の印象はどうだったんでしょうか?

小林 家庭学校は小舎制で、それこそ生活は家庭をなしているわけです。12人ぐらいで生活共同体をつくって、寝起きをともにする先生がいて、それがあそこの教育のやり方だったんですね。子どもたちはそこで自分をふり返り、そして自分の人生というものを考え、青春を楽しみ、自分の生き方を考える。こういう教育の場は学校とはちがって、すごい力を持っているという印象を持ちましたね。

山下 それは、先ほどおっしゃった「無償の愛」というか、家庭をベースにしていることが大きかったのでしょうか?

小林 大きかったね、ほんとうに。やっぱり家庭学校に来てる子どもたちは、愛に飢えている子どもたちなんでね。いかに愛されることが不足しているのかってことは、もう肌で感じましたね。親との関係を調整し、再構築していくことで、親は穏やかになっていくし、子どもがほんとうに変わっていくんですよ。これには心から感動して、これが教育なんじゃないかと思いました。規則や決まりで非行を立て直そうとするのは、子どもを追い込んで、かえってダメにするんです。やっぱり受けとめて愛してやることが大事で、これが教育の原点で基本だっていうことを、まさに実感しました。だから、神出学園のスタッフに話すときも、常に家庭学校のあり方を念頭に置いています。

田中 家庭学校では農作業をするそうですが、先生もいっしょにされたんですか?

小林 そうそう。もう汗を流して、何でもやりました。

山下 北海道家庭学校で出会った子どもたちは、非行の子どもが多かったのでしょうか?

小林 そうです。8割ぐらいが窃盗や暴力ですね。当時、不登校はまだ社会問題ではなく、学校から弾き出されて、非行化していく子どもが一番大きな問題だったんですね。


●ワルの集まる高校で

小林 修士課程が終わるころ、指導教官であった鈴木秀一先生(*3)に「小林くんは修士課程を終わって、これからどう生きるんだ?」と聞かれました。子どもたちのことをしっかりと勉強する学校の先生になりたいという思いがあったので、北海道教育委員会の教員採用試験を受けました。合格後に教育委員会に出向いて、困難な子どもたちの学校に赴任したいと訴えました。そうしたら教育委員会の先生に「あなたは変わった人ですね。そんなところへ望んで行くんですか?」と言われました。
 それから1週間ぐらい経って教育委員会から連絡があり、釧路と根室のあいだにある厚岸高校に赴任することになりました。普通科と水産科のある高校でした。1962年のことです。厚岸高校では、ほんとうにたくさんの子どもたちとの出会いがありました。私の人生のなかでも非常に充実した時代で、本を読む暇がないぐらいに、子どもたちが夜な夜な訪ねてくるんです。
 普通科は学区制があって、行ける高校が決まってるんですが、職業科はどの学区からでも受験できるんです。だから、ワルの子どもたちが、札幌から、あちこちから、とにかく集まってきてたんですね。そういう状況だったので、高校の生徒指導は、いかに彼らを押さえ込んで非行をさせないかってことになっていて、生徒指導の先生はいつも体を張って指導してるわけです。でも、非行からの脱出を目指すには、体を張った指導ではほんとうの教育にはならないということを、僕は家庭学校でイヤというほど勉強させてもらってたんです。だから職員会議では、30人の教師がいましたけれども、いつも1対29で、僕が1人なんです。職員会議では孤軍奮闘でしたね。この子どもたちに何が足りないかって言ったら、「愛すること」「信じること」「待つこと」でした。それを補ってやれば、彼らは青春を取りもどして、ほんとうの思春期を楽しめる子どもになるんだと感じましたね。「おまえはダメだ」「バカだ」「高校やめちゃえ」と言われてきて、挫折した子どもたちがいっぱいいたんです。
 授業では「古典なんかコテンコテンだ」って言っている子どもたちに、「古典っていうのはこんなに人間の真実が書かれたすばらしいものなんだよ」と話しました。教科書には載っていない『源氏物語』のきわどい男女の話(「雨夜の品定め」)をプリントにしました。そうしたら授業がよっぽど楽しかったのか、僕が演劇クラブの顧問と知ると、その学校の非行少年の頂点にいる子どもたち20人ぐらいが、どどっと演劇クラブに入ってきたんです。初めは4人しかいなかった。しかも女の子ばっかり。そこに男の子が入ってきて演劇クラブが膨らんだわけですね。それで、どんな芝居をやるかとなって、僕は彼らに「既成の脚本を演ずるのが演劇だと思っているとしたら、そんなのとんでもない。あなた方の青春をドラマにしなさい」と言ったんです。「先生、俺ら劇つくっていいんか?」って言うから「あたぼうよ! それをやれ!」ってね。脚本起草委員会の7人が僕の部屋に泊まり込んで、「海の仲間」という脚本をつくりました。それはこんな物語です。あるクラスのなかで時計がなくなるという事件が起こって、担任の先生は非行化したあいつが盗ったんじゃないかと疑いをかけた。それで、その疑いをかけられた少年が盗ったわけじゃないんだけれども、そんな人を疑うような学校になんかもういたくなくなって、彼は学校を飛び出すんです。それでどこへ行ったかっていうと、そのころ、非常に大きな問題になってた密漁です。夜な夜な魚を黙って捕るわけです。赤ちゃんをおんぶした母ちゃんも密漁をやってる。そんな現場を見ながら、「いや、これはあの母ちゃんが悪いって簡単には言えないぞ」っていうふうにして社会を感じていくんですね。自分はどう生きたらいいかを考える、そういうドラマをつくったわけです。

山下 フィクションだけれども、それぞれの経験がそこにあるということですね。

小林 そうそう、そういうことなんですね。年に1回ある演劇大会で「海の仲間」を上演したんですね。そうしたら、でかでかと「厚岸高校がオリジナル作品」って写真入りで北海道新聞の根室版に出たんですよ。子どもたちは「先生、俺らいいことやってんだよな」って喜んじゃって。みんな非行化した子どもたちだったんですね。それで初めてこういうことに喜びを感じた。非行ではなくて、こういうことで世の中の注目を集めるっていうことがどんなに楽しいことかってことに演劇クラブの子どもたちが目覚めていくんです。それはもうほんとうに、ドラマみたいだった。

山下 不登校50年証言プロジェクトでは無着成恭さんにもインタビューしています(#12参照)。無着さんの『山びこ学校』も自分たちの生活のことを言葉にして、それを共有するというものでした。それを思い起こしたんですが、演劇を通して自分たちの経験が言葉になって、それがまわりの人と共有できるものになっていくというところがあったのでしょうか?

小林 そうですね。だから、お芝居をやっていくなかで、彼らに思いを書かせることをできるだけしました。4カ月に1回ぐらい文集をつくり、演劇活動をやって自分はどうだったか、親はどうだったか、そんなことをいっぱい書きました。書くっていうのは、すばらしいことなんですね。自分の思いを言語化することによって自分をふり返り、これからを展望できる。文集は『つながり』というタイトルで、いまも持っています。


●夜な夜な8畳間で人生論

田中 高校生との深い関わりがあったんですね。

小林 あったねえ。びんびん返ってくるんですよね。彼らはもう語りたくてしょうがないんで、がんがん僕の家に来る。最初6畳の部屋を借りていたんだけれども、何人も来るので6畳の部屋だけじゃ入れない。隣に8畳の部屋が空いてたんで、そこも借りて、20人ぐらいで話ができる場を確保した。

山下 それ、自腹ですよね?

小林 もちろん。そこで夜な夜な人生論から生き方からいろんな話をしてね。彼らは「学校の先生とこんな話をするなんて、いままで考えられなかった」と、すごく喜んでくれました。

田中 当時、先生は20代ですか?

小林 20代の終わりぐらい。

田中 若手教師としてのご苦労もあったのでは?

小林 まあ、教科書は使わない、まともなことはやってないという批判はいっぱいあって、議論もあったけれども、校長さんがなかなかおもしろい人で、僕の味方になってくれたんです。それで非常に自信を持って、ほかの先生とはいつも議論してました。職員会議で「小林先生が、あの子どもたちを一手に引き受けて、彼らは非行より先生のところに行って話すほうが楽しくなった。親からも感謝の言葉がきてますよ」って言ってくださる先生もいた。
 厚岸高校には3年いて、その後、札幌の近くの江別高校に転勤することになった。子どもたちには「先生は厚岸高校を見捨てたんか」って怒られました。僕が厚岸を旅立つときに120人ぐらい集まってくれて、小さな駅のホームがいっぱいになった。いよいよ電車のドアが閉まるときに、7人の子どもが電車に乗ったまま降りないんですよ。「君たちはもう降りなきゃ」と言っても、「いや、いいんだ、先生。いいんだ」と言ってね。2人は釧路で帰りましたが、5人はそのまま江別の僕の新居まで来て掃除をしてくれました。
 江別高校は普通科6クラス、商業科2クラスで、僕は商業科のクラスを担任しました。その連中との交流もまたすごくてね。いまでも手紙を往き来するのが何人もいるぐらいで、ほんとうに教師としての喜びと感動を味わう6年でした。
 北海道で高校教師を9年やり、そろそろ長野に帰りたいなという気持ちがあって、それで長野県の採用試験を受けて、白馬高校に3年勤めました。これもまた、なかなか難しい子どもたちが大勢いる学校で苦労が多かったですが、やりがいももちろんありました。


●ホットでリアルな研究を

小林 その後、大学院での指導教官であった鈴木秀一先生から「小林くん、高等学校の先生をしっかりやったんだから、もうそれを活かして大学の道を選んだらどうか?」という助言があって、福井大学に行くことになりました。

田中 「少年非行に関する臨床教育学的研究」(『臨床教育学研究』1号所収/1995年)という論文で「シンナー少年への臨床的支援」について書いてらっしゃいますが、これは福井でのことですか?

小林 そうです。僕が教授会に提案して、相談ホットラインを福井大学で開くことになったんです。電話相談だけじゃなくて、面接相談もたくさん入ってね。いま僕は兵庫県の「ほっとらいん相談(青少年のための総合相談・ひきこもり専門相談)」に関わっていますけど、その最初の流れみたいなものですね。

田中 ご専門の臨床教育学とはどんな学問なのか、ご説明いただけますか?

小林 福井大学に赴任したころは、臨床教育学というキーワードはまだなかったんですね。それで僕らは、相談も含め臨床的に子どもの支援を継続的に行ない研究にしていくことを考えたんです。つまり本で勉強するんじゃなくて、悩める子ども、苦しむ親、そうした人たちとの関わりのなかでどう生きるか、どうあるべきか、そうしたことを学問的に明らかにしていく。名前をつければ臨床教育学っていう言葉が当たるんじゃないかということを何人かの先生と議論して、学会を立ち上げることになったんです。
 そのなかで出てきたのはニイル(*4)なんですね。指導教官の鈴木秀一先生がニイルの話をときどきしてくださって、僕も読みました。研究っていうのは、クールに引き離してものを考えがちなんだけど、もっとホットで、リアルで、ありのままの子どもや親の姿が見えてくるような研究が大事なの。ニイルについては論文に書くほどの研究はしませんでしたけれども、その思想から学ぶことは多かった。臨床教育学を高めてくれる大事な文献です。

山下 臨床教育学という新しい学問を確立しようと思われたのは、それまでの教育学では子どもたちが見えないという思いがあったからなのでしょうか?

小林 そうです。子どもたちの声を聴き、いっしょに汗を流すなかで初めてつかめるんです。だから、僕の考える臨床教育学っていうのは、あくまでも現場に立って、そこの息づかいからものを考えていくんです。


●兵庫県立神出学園の設立

田中 神出学園についてうかがいます。ご著書『子ども支援の臨床教育学』(萌文社/1996年)によると、1988年に兵庫県知事が、カリフォルニア州自然保護隊を参考に青少年支援施策に取り組むことを指示したとのことですが、この経緯についてご存知のことがあれば教えてください。

小林 神出学園の構想がスタートしたときの知事は貝原俊民(*5)さんでした。なかなか教育に長けている知事さんで、悩める子どもたちが元気になっていく場を行政が考えなきゃいけないと発案されて、当時の「生活文化部こころ豊かな人づくり推進室」から福井大学の僕のところに電話がありました。「先生のこれまでの知見を兵庫県の不登校の子どもの居場所づくりに活かしたいので、力をお借りしたい」と言われ、行政がそんなことを考えてるっていうのはすごいなと、非常に僕は感動しました。構想策定委員会の委員長になりましたので、福井から兵庫に通って、県庁や学校関係者のみなさんと議論しました。計画の青写真を持って知事さんのところへ行ったら「わかりました。ただちに予算をつけましょう」って、もう一言ですよ。びっくりしましたね。
 それからは、福井大学から兵庫県の武庫川女子大学に移り、学園構想をさらに具体化するための予算とか、どんなスタッフが必要だとか、カウンセラーは何人だとかを決定し、1994年に開校したんです。場所は農業大学校の跡地(神戸市西区神出町)になりました。もともと県の土地ですから、土地以外に11億円の予算が使えたっていうのは、ほんとうに幸せだったと思います。

田中 カリフォルニア州自然保護隊には、先生は見学に行かれたのでしょうか?

小林 行きたかったけど、行けなかった。構想策定委員会の発足前に県庁から数人が見学に行きました。報告を受けて参考になるなとは思いましたが、僕はあんまりくわしくはないんです。

田中 兵庫県の職員の方々が熱心に調査されたんですね。

小林 そうです。非常に準備に力を入れて、必要な情報はしっかり集めていました。

田中 神出学園が義務教育段階ではなく、中卒後を対象にした理由は何ですか?

小林 当時、兵庫県でも高校中退はかなり大きな問題だったんですね。学校に行けなくて中退してしまう子どもが、かなりの割合いるという数字もつかんでいました。

山下 教護院(現在の児童自立支援施設)や情緒障害児短期治療施設など、当初は非行少年を対象として設置された施設がある一方で、高校中退や不登校の子どもを対象にしたものはなかったので、兵庫県独自でやろうということだったのでしょうか?

小林 そういうことです。どちらかというと矯正教育は問題を起こした子どもたちが中心ですよね。教護院もそうですけど、教育を中心にして、子どもたちを変えていくというスタンスなんですね。ところが不登校やひきこもり、心を病む子どもたちは、教育で疲れている。教育で対処しても救えないということで、子どもたちに寄り添う新たな支援の理念と施設が必要になったわけです。

山下 なるほど。神出学園は、学園とは言いながらも、高校ではないわけですよね。

小林 そうです。この学園っていう名前については議論があったんです。僕も学園でいいのかなって思うことは、いまでもあるんですよ。でも何かポジティブに受けとめられる名前がほかに見つからなくてね。最後は行政の人と話し合って決断したんです。

山下 ホームページでは「公立の全寮制フリースクール」と書かれていますが、当初から「フリースクール」と名乗られていたのでしょうか?

小林 積極的には名乗っていませんが、そういう説明がわかりやすかったので使ったのだと思います。

山下 ニイルなどの影響があって「フリースクール」を名乗っているというよりも、説明として了解されやすいから、ということでしょうか?

小林 そういうことだと思います。


●体験活動中心のプログラム

田中 寮生活にするかどうかについて議論があったと、『癒やしの丘で――兵庫県立神出学園の不登校支援』(神戸新聞総合出版センター編2016)で読みましたが、先生はどうお考えだったのでしょうか?

小林 ここでの集団の生活をどのようにつくりあげるかは、なかなか難しいテーマで、議論になりました。寮生活は不登校の子どもたちにとっては高いハードルだけど、そこをきちんとクリアする手立てを組んで乗りきっていけば、子どもたちは友だちができる喜び、いっしょにご飯を食べる喜びを感じるだろうと考えました。そのためには、寮には泊まり込みのメンタルフレンドが絶対に必要だと主張しました。寮を指導するスタッフじゃなくて、ともに寮で生活をする先輩として。

山下 かつての小林先生のような存在ですね。

小林 そう。できるだけ集団への抵抗をなくすようなスタッフの配置、それからカウンセリングも必要です。県庁で交渉してたら、カウンセラーは1人いればいいじゃねえかって言うので、「待ってください。60人の子どもたちに1人では絶対に無理です。3人はカウンセラーが必要です」って訴えて、兵庫県から3人配属してもらっています。

山下 神出学園の活動プログラムは、教科学習より体験活動が多いですね。

小林 そうです。プログラムは農業、ガーデニング、料理、音楽、動物飼育をはじめ、たくさんあります。動物は、犬、ウサギ、羊、ポニーなどがいます。

田中 農業など北海道家庭学校の活動プログラムと共通点が多いですが、意識されたのでしょうか?

小林 そうです。家庭学校のことは、ずっと僕のなかにありますからね。

山下 とても楽しそうな活動プログラムだと思うんですが、子どもたちのなかには気持ちが向かないとか、参加したくないっていうこともあるんじゃないかと思います。そういう場合はどうされているのですか?

小林 集団でやりたくないけれども、自分で本を読みたいとか、何か別のことをしたいという子どもの要望は、その都度、聞いてます。わがままで言ってる子どもの場合は少し話をして、いっしょに入ろうよって誘いますけれども、そうでなくて身体的、精神的に無理だっていうときには、その子どものニーズはそのまま受けとめています。

田中 神出学園オープン講座(2017年12月1日)でうかがいましたが、全員が1週間に3泊4日を過ごすわけではなくて、まだ慣れてないから週1日だけという子もいるんですよね。

小林 そうですね。原則は月曜日やってきて、木曜日の昼食後にさよならするんですけど、それが充分できなくて、たとえば火曜日や水曜日の夕方に来る子どもがいたり、それはさまざまで柔軟に対応しています。

田中 割合としては、どれくらいなのでしょうか?

小林 わずかですね。2割ぐらいかな。だいたい入学して2カ月目ぐらいになると、ほとんどうまく適応していきます。

田中 神戸市内から通っている子たちが多いのでしょうか?

小林 そうですね。兵庫県の日本海側から来ている子もいます。

山下 毎週末に帰宅するのは家庭とのつながりも必要ということでしょうか?

小林 そうです。やっぱり家庭の支援がないとね。お父さんお母さんも受けとめてくださいということは、ちゃんとお話ししてあります。


●スタッフはどうあるべきか

山下 神出学園では、「スタッフ」という呼び方をされてるそうですね。

小林 そうです。ここでは先生って言葉はありません。「さん」づけです。

山下 それは、どういうお考えからなのでしょうか?

小林 学校を否定するところから、この学園は始めています。学校で不登校になっているわけだからね。学校の流儀は、ここではとらない。指示、命令はなし。それは徹底しています。

山下 ここの教務スタッフをされているのは、教育委員会の指導主事の方々で、学校の先生をされていたということですよね。神出学園に来て急にスタンスを変えるのは難しいのではないかと思いますが、研修などがあるのでしょうか?

小林 そうですね。それが一番たいへんで、僕らは最初の3カ月がほんとうに大事だと思ってるんですね。最初の1カ月は、僕が新しく来た人たちに神出学園の子どもたちにはどんな寄り添いの仕方が大事かということを3〜4回お話をして、学園のスタッフは基本的にどうあるべきかってことを学んでもらいます。2カ月目は、うちのスタッフが自分たちの経験を語って、3カ月目には、これまでの子どもたちがどうなったかという話をしています。せっかくこの学園に来たんだから、この立場を自分のものにして、いい体験をして、いい教師に成長できるようになってほしいと研修で話しています。

田中 神出学園の初年度は、手さぐりでたいへんだったのではないでしょうか?

小林 最初は僕の出番が多かったですね。当時は、ほとんど1日おきぐらいに来てましたね。僕は原則、週2回勤務なんだけども。

田中 「学園生に対してそんな言い方は……」とスタッフに感じることもあったのではないでしょうか?

小林 そうなんですよ。そこはだから、しっかりと考えてもらう。叱ってもしょうがないんでね。問題があったとしたら、それはなぜか。そこを乗り越えるにはどうするか。ていねいに話をするっていうことを一番大事にしてきました。

田中 ここで働かれた方が教頭や校長になられるわけですよね?

小林 そうですね。たくさんの管理職が神出学園で貴重な経験をし、各地で非常によい働きをしていると教育委員会も喜んでいます。

山下 神出学園での教務スタッフの任期はどれくらいですか?

小林 いま、ここへ赴任してきている教務スタッフは7人います。大部分の人は3年で転出しますが、神出が好きだから4年間いるっていう人もいます。

田中 小林先生以外のスタッフは、全員入れ替わっているということなんですね。

小林 そうです。構想策定、開校から関わっているのは僕だけですね。

山下 人が代わっても理念が継承されていくというのは大事なことですよね。

小林 それが大事ですね。昨日も「先生、ちゃんと弟子はいるんですか?」と言われました。きちっとした継承者をつくらないうちは、僕は辞められないですね(笑)。


●子ども支援のこれから

田中 2016年12月に「教育機会確保法」が制定されました。昨今、学校外の学びの場が注目されていますが、神出学園はとても重要な先進事例だと思っています。

小林 大事なのは学校外の学びです。最近は学校もいろいろ新しい試みがあったり、開かれたりしていますけれども、どうしても学校の枠が依然としてあって、それが子どもたちにとっては堅苦しいということが、かなりあると思うんです。だから学校の枠をできるだけ広げて、子どもたちの発想やニーズに応える学びの場と理念が必要だと思います。「学校の枠をなくせ」ということではなくて、学校の枠をうんと広くとって、学校らしくない学校で、子どもたちがのびのび、いきいきと学び、関わり、成長する。これが、これからの学校のあるべき姿じゃないかと思います。学校の先生も、いままでの固定的な教師概念を変えていかなきゃならないわけですし、教師自身も大いなる成長ができる。学校のいままでの姿をできるだけ乗り越えて、可能なかぎり広いかたちにしていくのは、これからの子どもたちのためには不可欠な条件になるのではないでしょうか。

山下 子どもたちからすると、学校でないような場所だから神出学園には来られるという面もあるのではないでしょうか?

小林 そうですね。神出学園では、まず子どもがあって、子どもが何を考えて、何をしたいか、それからスタッフにはこんな楽しい思い、体験もさせたいっていう思いがある。これらをそれぞれがおたがいに受けとめ合って、いままでの学校とはちがった大いなる体験と学びと人間関係ができていく。そんなふうに思っています。

山下 不登校の子どもたちと関わってこられて、何か質的な変化を感じることはありますでしょうか?

小林 僕が高校に勤めていたころは、非行が大人を悩ましていたんですが、いまはやっぱり心を病む子どもですね。とくに対人関係がうまく持てない、仲間づくりができない。

山下 なぜ、そうなったのだと思われますか?

小林 やっぱり、幼少期から遊んでないんですよね。それでいて、勉強だけは、たくさん追い立てられる。

山下 かつては、校内暴力や非行として外にエネルギーが向かっていたのが、そういうかたちでは表れなくなってきているということでしょうか。

小林 そうですね。みんな内にこもってる。

山下 もう少し踏み込んでうかがってみたいんですが、子どもたちが神出学園で元気を取りもどしたとしても、いまの子ども・若者をめぐる社会状況は非常に厳しいですね。そのあたりはどうでしょう。

小林 そう、挫折しちゃうこともありますね。

山下 ある場所で子どもが元気になったから、それでよかったということではすまない問題だと思います。

小林 子どもたちがもっと自分たちの思いを交わし合ったり、支え合ったりする場を地域につくりだしていかないといけないね。地域での新たな子どもたちの育て方、教育っていうか、就職していく前の場が必要ですね。神出学園を出た子どもたちは、ここでとてもいい体験をして、多くはうまくいっていますけれども、そうでない子どもたちもいます。神出に再び入りたいって言ってくる子どももいます。何か社会的に子どもを大人にしていく、もうひとつの段階の地域支援が、僕はあっていいんじゃないかと思います。

山下 高校生たちが夜な夜な集まった先生の8畳間が果たしたような役割を、地域のなかにつくっていかないといけませんね。

田中 本日はご多忙のところ、ありがとうございました。

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*1 北海道家庭学校:留岡幸助が1899年に東京で「家庭学校」という感化院(非行少年や保護者のいない少年の保護・教育のための施設)を創設した。その分校として北海道家庭学校は1914年に開設された。1968年に分離独立し、社会福祉法人北海道家庭学校となった。現在は児童自立支援施設として運営されており、定員は41名(男子のみ)である。主に北海道の8つの児童相談所と札幌市児童相談所から措置された子どもを受けいれている。夫婦の職員が住み込みで入所者と生活する「夫婦小舎制」が採用されている。

*2 谷昌恒(たに・まさつね):1945年、福島県で戦災孤児のために堀川愛生園を創設。1969年、北海道家庭学校の第5代校長に就任。著書に『森のチャペルに集う子ら――北海道家庭学校のこと』(日本基督教団出版局1993)など。

*3 鈴木秀一(すずき・しゅういち):教育学者、北海道大学名誉教授。1986年に「新しい教育・学校をめざす研究会」(現在の「北海道自由が丘学園・ともに人間教育をすすめる会」)を創設。現在、同会はフリースクールや学童保育を運営している。

*4 A・S・ニイル(Alexander Sutherland Neill):イギリスの教育者。フリースクールの源流として知られるサマーヒル・スクールを1921年に創設。アメリカのフリースクール運動をはじめ、日本を含む各国に大きな影響を与えた。 

*5 貝原俊民(かいはら・としたみ):旧自治省に入省し、1970年から兵庫県に出向。1986〜2001年に兵庫県知事を務めた。


●兵庫県立神出学園
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 自然豊かな神戸市西区神出町にあり、約2500uの農園や果樹園、牧草地がある。兵庫県在住の中卒〜23歳までの若者を対象としており、不登校の高校生や高校中退者などが入学している。標準的な在籍期間は2年間で、1学年の定員は約30名(男子20名、女子10名程度)。在籍期間は本人の希望や復学等によって短縮または延長されることがある。
 高校ではないため高卒資格を得られないが、提携している通信制高校に入学することで高卒資格を得られる。教科学習のほかに多くの体験活動やカウンセリングが行なわれている。学園には寮があり、在籍者は月曜日から木曜日まで学園で過ごし、週末は自宅に帰る。金曜日には中学3年生から35歳以下のひきこもりの若者を対象に「1日交流体験」を月に数回開催している。
 くわしくは神出学園のホームページを参照。また、書籍『癒やしの丘で――兵庫県立神出学園の不登校支援』(神戸新聞総合出版センター編2016)でも詳述されている。
【居場所・フリースクール関係の最新記事】
posted by 不登校新聞社 at 11:06| Comment(0) | 居場所・フリースクール関係
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