2018年03月08日

#35 高岡健さん

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(たかおか・けん)
1953年、徳島県生まれ。1979年、岐阜大学医学部卒業。岐阜赤十字病院精神科部長、岐阜大学准教授を経て、2015年より岐阜県立こども医療福祉センター発達精神医学研究所所長。日本児童青年精神医学会理事。少年事件の精神鑑定も数多く手がける。雑誌『精神医療』(批評社)編集委員。著書に『人格障害論の虚像』(雲母書房2003)、『引きこもりを恐れず』(ウェイツ2003)、『不登校・ひきこもりを生きる』(青灯社2011)など多数。共著に『不登校を解く』(共著:門眞一郎、滝川一廣/ミネルヴァ書房1998)、『時代病』(共著:吉本隆明/ウェイツ2005)、『殺し殺されることの彼方』(共著:芹沢俊介/雲母書房2004)など多数。

インタビュー日時:2018年2月3日
聞き手:山下耕平、山田潤
場 所:フリースクール・フォロ
記事編集・写真撮影:山下耕平
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〈テキスト本文〉

山下 このプロジェクトでは、多くの方に、ご自身の子ども時代、とくに学校との関係からうかがっています。高岡さんは、徳島のお生まれでしたね。

高岡 1953年、徳島市生まれです。小学校4〜5年生のころ、愛媛県の新居浜市に転校したんですが、新居浜は、いわば住友の町でした。もともとは漁業を中心とした町だったんですが、それが解体されていく一方で、住友の関係の会社がどんどん進出していました。町には、たくさんの住友系の従業員が自転車で往来していて、道路を占拠するぐらいでした。
 当時は、校歌にも「工場のサイレン」というくだりが入っていて、校長がわざわざ訓示で「この工場というのは学校の前の木工製作所のことではなくて、住友の工場のサイレンのことです」と説明するぐらいでした。

山下 「住友」が輝かしかったんですね。

高岡 そういうことです。ですから、同級生のなかには、解体していく漁業(第1次産業)の家の子どもと、当時、成長産業だった住友系(第2次産業)の会社員の子どもとがいたわけです。

山下 高岡さんの家はどうだったんですか?

高岡 父親は四国電力に勤めていて転勤族だったこともあって、私はどちらと親しいということもなく、漁業の家の子とも住友系の会社員の子とも、どちらともつきあっていました。
 漁業の家の子は、ときどき学校に来ないことがあるんですね。アオサ採りと言ってましたが、海藻を集める仕事に従事していました。それはあたりまえのことになっていて、その間は学校公認で休んでいるわけですね。
 それから、私は落ち着きがなかったせいか、学年の途中でクラスを替えられたことがありました。ただ、いま考えても先生がうまかったなと思うのは、新しい担任が「高岡よ、ワシは一度おまえの担任をやってみたかったんだ。いいか?」ときいてきたんですね。私も機嫌よく「いいですよ」と言ってね。母親も単純なもので、「そりゃよかったね」と言って、途中でクラスを替わりました。

山下 いまだったらAD/HDとか言われて、特別支援学級に移されているのかもしれないですね。

高岡 おそらく、そうでしょうね(笑)。まあ、そういうことはありましたが、小学校では、放送係などをやって、好きな機械いじりをしていたり、5年生の終わりで、また徳島に転校した際には、先生たちが餞別に絵の具をくれたりして、いい思い出が残ってますね。いいことだけを覚えているのかも知れませんが。



●ふたつの世界の境目にあった学校

山下 漁業と会社勤めでは、ぜんぜん世界がちがいますよね。それは、子どもながらに感じるところがあったわけでしょうか。

高岡 言葉として整理できたのは後になってからですが、感じているものはあったでしょうね。ただ、対立を感じることはなかったです。ひとつ、ちがいを感じた例をあげれば、地元の祭への参加ですね。新居浜はケンカ祭が有名で、日本の三大ケンカ祭のひとつなんです。各町内で神輿を出して、祭で衝突させるんですが、会社勤めの家庭の子どもには、子どもだけの子ども神輿が用意されていて、それで祭に参加したことにしてました。

山下 高岡さんが小学生のころというのは、60年代前半ごろの話ですね。ちょうど不登校も問題にされ始めた時期と重なりますが、子ども時代に、身のまわりで不登校の子がいたという記憶はありますか?

高岡 漁業の仕事で休んでいる子はいましたけど、不登校のようなかたちで連続で休んでいる子は記憶にないですね。覚えてないだけかもしれませんが。

山下 中学校以降は、どうだったんでしょう。

高岡 国立大学の附属中学だったので、そういう意味では均質化されていました。漁業など第1次産業の家の子はいなくて、いわば上昇志向の家の子どもたちが来ていたと言えるでしょう。

山下 地域共同体に根づいていたわけでもなく、高岡さんがときどき自嘲気味に言われるように「田舎の秀才」という位置だったわけですね。学校を批判するというとき、古い共同体に幻想を抱いて、そこから近代社会や学校制度を批判することもあるかと思いますが、そういう見方に対して高岡さんはひややかですね。それは、そういう経験から来ているのでしょうか。

高岡 共同体も、実際はいろいろなわけです。けっして一枚岩ではない。あちこちから流れてきている人もいれば、そのなかに対立もあったりするわけです。
 『瀬戸内少年野球団』(篠田正浩監督1984)という映画がありましたが、あの映画では、第1次産業中心の共同体のなかに、夏目雅子が演じた教師だけが、第2次産業世界から光とともにやってきたわけですね。第1次産業を生きている子どもたちが第2次産業世界に吸引されていく過程、そのふたつの世界の境目に学校があったわけです。映画の舞台は淡路島で、敗戦の影響は島の共同体にもおよんでいましたが、網元も神社も残っていました。その時期の島の共同体にとって、学校は、そういう光とともにやってくる人との関係のなかで成立するものでした。滝川一廣さんの言うところの学校の「聖性」ですね(本プロジェクトインタビュー#06参照)。

山下 高岡さん自身は、学校に「聖性」を感じていたんでしょうか?

高岡 私の実感としては、ぜんぜんそういうことはなかったですね。

山下 そうですか。滝川さんとは世代も近いですが、そのあたりは、だいぶちがうのですね。高校はどうされたんでしょう。

高岡 公立の進学校に進みました。高校に入学したのは1969年だったんですが、高校全共闘を結成して、70年に無期停学処分を受けました。ですから、私は自分から学校に行かなかった経験はないんですが、学校から来るなと言われた経験はあるんですね(笑)。しかし、進学校だったこともあって、教師が「旧帝大か医学部を受けるなら停学を解除して学校にもどしてやる」と言ってきたんです。そのとき、私が「もどれるなら、もどしてください。だけど、受験で調査票を提出するときに、政治闘争で処分歴ありとか書くんじゃないですか」ときいたら、「バカなことを言っちゃいかん、私たちはひとり進学させていくらという商売なんだ。その商売に反するようなことをすると思うかね」と言ってました。それは、ある意味でとても誠実な対応だったんだと思います。

山下 大学は、なぜ医学部に?

高岡 もともと思考方法としては理系の思考になじんでいたので、理学部か医学部に行こうと思ったんです。まあ、医学のほうが範囲が広いだろうと思って選んだということですね。

山下 精神科医になろうとしたのは?

高岡 消去法でした。これはおもしろそうじゃないとか、これは疲れそうだなと考えて、残ったのが精神科だったんです(笑)。

山下 大学時代も学生運動はされてたんですか?

高岡 小さな政治党派に所属して活動してました。

山下 しかし、時代的には学生運動も収束時期に入っていて、しんどい時期ですよね。

高岡 後退戦と言ってましたね。負けない闘いが一番大事だと思ってました。闘争というのは、言ってみれば自分の頭で考えることですから、それさえあれば、数の大小は問題ではない。そういう意味では、闘争をやっていてよかったなと思います。一方では、内ゲバ(*1)なんかもありましたからね。内ゲバが一番しんどい。そういうときに、人への信頼とか、いい意味での気楽さが大事だということがわかったように思います。

山下 高岡さんは、吉本隆明(詩人、思想家/1924―2012)さんからの影響も大きかったようですが、集団よりも個人が大事だとか、大衆への信頼が大事だというのは、そういう背景もあったんでしょうか。

高岡 ありますね。吉本さんから学ぶものは大きかったですね。


●雇い止めにされたけど

山下 精神科医として師事していた方はおられるんですか?

高岡 直接、師事していたわけではないんですが、東京大学精神科医師連合とつながりができて、委員長の森山公夫さんには影響を受けました。著作をずっと読んで尊敬していたこともあって、勉強会を開いて、森山さんに来ていただいていたこともありました。

山下 森山さんと言えば、東大で赤レンガ闘争(*2)をされたり、いわば反精神医学の旗手ですよね。

高岡 そうですね。ただ、闘争面だけではなくて、学術的にも非常に優れた方でした。学会賞も受賞する予定だったんですが、ちょうど闘争の時期と重なって賞を辞退されて、以後、しばらくは受賞制度がない時期があったほどです。

山下 精神科医としてお仕事を始められたのは、いつからになりますか。

高岡 1979年からです。2年間、大学病院で精神科のみの研修医をしていました。その2年目のとき、先輩にあたる人が雇い止めにされたんです。実質上のクビ切りですね。医員というポジションで、1年ごとの更新なんですが、その更新を止められた。教授との考え方のちがいがあって、その指示に従わなかったからでしょう。不当な雇い止めだということで、私たちも撤回を求めて闘争を組みました。そうしたら、次に私が雇い止めにされてしまったんですね。就職口はいくらでもあったんですが、あまりにシャクにさわるんで、3年目も雇用関係がないのに岐阜大学病院で診療をしていました。

山下 そんなことができたんですか?

高岡 法的にはどうかわかりませんが、でも、やってたんです(笑)。月・水・金は大学病院で勝手に診療して、火・木・土はよその病院で働いてました。しかし、大学病院から給料は出ないですし、長続きはしなくて、しばらくは、月・水・金はどこにも行ってなかった時期がありました。ちょうど上の子が幼稚園に行く前ぐらいだったので、そのころはベビーカーに子どもを乗せて公園に行ってました。あのころが一番楽しかったですね。いまからふり返ってもいい時代だったと思います。近所のお母さん方からは「画家じゃないか」とか「書道を教えてるそうだ」と思われていたようです(笑)。いい噂だけを聞いていたんでしょうけど。


●不登校を「治療」していたが

山下 最初に医者として不登校の子に出会ったのはいつごろでしょう。

高岡 勝手に大学病院で診療していたころだと思います。80年代初頭ですね。

山下 どういう子どもたちだったんでしょう。

高岡 ひとりは、高校生の女の子で、お母さんがつれてきてました。学校に行かず、ずっと家にいるということでした。もうひとりは、中学生になったばかりの男の子で、やはりご両親が心配してつれてきてました。そのふたりが最初だったと思います。

山下 当初は、どういうふうに接しておられたんですか。

高岡 最初は、学校に行けるようにすることが当面のゴールだと思っていました。「学校に行きたくない」と言っていても、ほんとうは行きたいのであって、神経症の一種なのだから、それを治療して学校に行けるようにすることが治療の成功だと思っていました。

山下 そのころには、すでに精神医学のなかでも登校拒否の見直しがあった時期ですね。そういう見方は知らなかったということでしょうか。

高岡 私は知らなかったですね。そういう考えを知ったのは、もう少し後のことですね。最初のころは、私なりに一所懸命、学校にもどすことがいいことだと思って、神経症の治療をしていました。

山下 そのときの見方としては、力動精神医学(*3)の枠組みで見ていたということでしょうか。

高岡 そうです。家族間のなかで、本人に負担になっていることがあるのではないか。そこで本人が言葉で表現できないことが神経症としてあらわれているのではないか。ですから、その葛藤を作品などを通じて表現してもらうということですね。それは、当時としてはオーソドックスな方法だったと思います。

山下 それが変わっていったのは、ほかの人の知見によってか、実際に自分の診療がうまくいかないなかで、考え直していったのか、そのあたりはどうだったんでしょう。

高岡 両方ですね。実際、家族のなかの力動で本人に負担になっていることがあるかと診ていっても、それがないんですね(笑)。本人の表現も、家のなかでのびのびしているときの表現と、診察室ではどうもちがう。それと、地方都市なので、たまたま患者さんと外で会うこともあるんですね。そうすると、診察室のようすとちがって元気なんですよ。これはどうも考え直さないといけないと思っていたところ、河合洋さんの考えに出会って、自分の治療論を見直すきっかけになりました。

山下 考えを変えたら、うまくいったということでしょうか。

高岡 おたがいに、しちめんどくさいことを考えなくても、うまくいくものだなと思いましたね。

山下 「ほんとうは行きたい」と勘ぐるのではなく、「行きたくない」という思いをそのまま受けとめるということですか。

高岡 身体が拒否しているのだから、それが一番正直なんだということですね。


●稲村問題の検証

山下 1988年に、稲村博さんの「登校拒否症は早期に治療しないと30代まで尾を引く」という見解が朝日新聞夕刊(9月16日)1面トップに出て、大きな問題となりましたね。高岡さんは、この問題に深く関わっておられたので、当時のことをおうかがいしたいと思います。児童青年精神医学会では、どういう経緯があったのでしょう。

高岡 新聞記事が出た翌年の89年、渡辺位さんら5名の学会員が稲村さんの活動を検証するよう学会に要望書を提出されました。それを学会理事会が子どもの人権に関する委員会に付託して、調査することになったんです。それで、人権委員会委員長の川端利彦さんと私が調査を担当することになったんです。くわえて、山登敬之さんに臨時委員に入ってもらいました。山登さんは稲村さんのもとで働いていたんですね。
 学会で行なう調査ですから、ちゃんと学術的に調査しないといけませんので、まずは治療概念について調べました。そうすると、稲村さんの使っていた「登校拒否症」「無気力症」という概念の使い方はいいかげんで、先行文献を検証することもなく思いつきで使っていたことがわかりました。それから根拠としていた統計調査もいいかげんでした。意図的なのかどうかわかりませんが、省いている数字があったり、まちがえて引用したり、恣意的な数字の操作がありました。それと、治療法の問題ですね。稲村さんは法律を守っていませんでした。また、無断で病院から逃げた人をガードマン会社を使ってつれもどしていました。ですから、概念、統計調査、治療法のどれをとってもダメだろうという結論を出した次第です。

山下 調査は、実働としては高岡さんが動かれていたものですよね。

高岡 そうです。

山下 調査のとき、稲村さんに面会して話をきいておられますね。病院にも実際に行かれたんでしょうか。

高岡 稲村さんに話をうかがったのと、彼の部下だった斎藤環さん、そして佐々木由紀子さんという医師に話をうかがいました。佐々木さんは当時、稲村さんの入院治療が問題になった浦和神経サナトリウムの常勤医で、子どもの診療はしていませんでしたが、実際をよく知っているということで話を聴かせてもらいました。しかし、病院には行っていません。

山下 法律を守ってなかったというのは?

高岡 稲村さんは、当時で言うところの同意入院(現在の医療保護入院)をさせていたんですね。これは本人ではなく家族の同意で強制入院させる手続きのことですが、その要件は「精神障害者であって医療および保護を必要とする場合」です。しかし、稲村さんは「欠席日数のリミット」が近づいているという理由で強制入院をさせていました

山下 なるほど。くわえて、ガードマンの問題などがあったということですね。ほかに人権侵害にあたる行為はあったんでしょうか。

高岡 入院して2週間は一律に通信面会が禁止されていました。それと、入院させていた病棟は、稲村さんは思春期病棟だと言っていたんですが、実際は民間病院のふつうの精神科病棟で、保護室も一般病棟と変わらない部屋だったんですね。そのためなのか、保護室に入れられる人の多くがベッドに拘束されていました。
 また、女性患者が着替えをしているときに、たまたま男性看護師が入ってしまったことをきっかけに集団暴動が起きたことがありました。その人たちはまとめて強制退院させられてましたが、それも問題があったと言えるでしょう。

山下 投薬治療での問題はあったんでしょうか。

高岡 水薬を食べ物に混ぜて飲ませていました。「やむをえない場合だけ」と言っていましたが。


●「遷延化」するのは

山下 稲村さんの入院治療に人権侵害の問題があったことは、おそらく誰が見ても異論のないところだろうと思います。しかし、治療論や概念の部分については、もう少しうかがいたいと思います。稲村さんは「登校拒否の予後」を問題にされていて、遷延化するとひきこもりにつながる、「30代まで尾を引く」と言っていたわけですね。それはその後の現実を見るとあたっていたのではないかという意見もあります。ここはよく考えたいところだと思いますので、人権侵害の問題はいったんおいて、治療論についてどうだったのか、高岡さんの考えをお聞かせください。

高岡 治療論の前に正しい診断学があることが必要ですが、ひとつには、先ほど申し上げたように「登校拒否症」「無気力症」という概念がいいかげんなものだったということですね。

山下 「無気力症」というのは、笠原嘉さんの言うスチューデント・アパシー(*4)とはどこがちがうのでしょう。

高岡 笠原さんの本はすべて調べたことがあるんですが、笠原さんはスチューデント・アパシーという概念を肯定的に捉えているんですね。「ある種のやさしさ志向」「廻り道の時代」でもあるといって、当事者にとって意義のあるものだと捉えていたわけです。また、「無気力症」という言葉は、ほぼ単独では使われていません。笠原さんは学術的な人ですので、恣意的な使い方はしてないわけです。稲村さんのように、否定的な概念として、いわば国を滅ぼす病としては捉えてないんですね。そこがまったくちがいます。
 笠原さんは記述精神医学(実際にあるものをそのまま記述して、そこから考えていく精神医学)を専門としておられました。京大の保健管理センターに勤務しておられて、そこで留年生と接するなかで気づかれたことがあったわけです。教授がひっぱりあげようとしてもうまくいかない。留年生どうしでミーティングをしてもうまくいかない。一番うまくいくのは、助手との関係でした。助手は、いまは助教とか言ってえらそうですけど、そもそも金も地位もない存在ですね。そういう人とのつながりが一番うまくいくんだということを発見された。また、京大を中退した人が、かえって幸せな人生を歩んでいるということにも気づかれていた。スチューデント・アパシーは、そういう文脈にあるわけです。

山下 それは、その後のひきこもり観にもつながりますね。ひきこもりを治すべきものとしてみるのか。本人に必要なプロセスとしてみるのか。

高岡 そうですね。稲村さんの治療は、目に見えるものと、根本的な発想を規定しているものとに分けられると思います。目に見えるものというのは、たとえば入院治療のあり方などですね。これは批判を受けて変わった面があります。では、目に見えにくい部分、発想の根本の部分は何かというと、徹頭徹尾、善意なんです。稲村さんは、学校に行かなかったら、ほんとうに子どもはダメになると思っていたんでしょう。そういう主観から善意で接していたら、子どものほうも、よっぽどでないかぎり、その善意に沿って応じますね。そうすると、ほんとうにダメになってしまうんです。そこには道がひとつしかないですから、その道を進むのでなければ、立ち止まるかもどるしかない。稲村さんの治療論の根本には、そういうところがあると思います。
 稲村さんだけではなくて、そういう流れは全国的にあったと思います。そして、そういう流れに巻き込まれた人たちが、事態を長引かせてきたということだと思います。「遷延化」しているとすれば、それは個人の事情だけではなくて、そういう流れに直面させられたことによる部分もあるわけです。

山下 治療の枠組みそのものが「遷延化」させてきたということですか。

高岡 そういうことです。もちろん、治療というのは単独で成立するわけではなくて、世の中の価値観と連動して成立するものです。そういう流れも含めてのことでしょうね。

山下 それが本人を「無気力化」させてしまってきたと。

高岡 自分はダメだと思わせてしまって、それゆえに長引かせてきてしまったのだろうということです。


●善意はやっかい

山下 そういう意味では、よくおっしゃっているように、善意ほど怖いものはないわけですね。

高岡 「地獄への道は善意で敷きつめられている」と言いますね。もともとはダンテの言葉だとも言われてますが、マルクスの『資本論』第1巻に出てきます。いずれにせよ、パターナリズム(*5)や善意ほどやっかいなものはないわけです。
 不登校が「遷延化」してひきこもりになるという観点は、その後、稲村さんの弟子である斎藤環さんに引き継がれていますね。斎藤さんは筑波大学の院生のとき、浦和神経サナトリウムで、稲村さんのもとで診療していました。
 斎藤さんも善意なんですよ。彼が書いた『社会的ひきこもり』(PHP新書1998)は、稲村さんの言っていることを、まったく踏襲してますね。いわば不登校をひきこもりに替えただけなんです。斎藤さんは強制入院などはさせていないでしょうが、稲村さんの根本の発想は正しいと思って、ずっとやっていると思います。

山下 斎藤さんは当時、民間の「入寮施設」にも関わっていたそうですね。これは、どういうことだったのでしょう。

高岡 TBSで堂本暁子さんが稲村さんの入院治療の実態について報道しましたね(#19堂本暁子さんインタビュー参照)。その報道をきっかけに入院治療ができなくなって、民間施設に入寮させていたということだったと思います。
 報道については同情するところもあります。稲村さんが言うには、TBSは「いいところだと聞いたので取材したい」と言っていたそうなんですね。だから、だまし討ちだったと。私は番組を見てないので何とも言えないですが、そういう意味でも善意の人だったんだと思います。

山下 学会のなかで、ほかの精神科医の見方はどうだったんでしょう。

高岡 よくも悪くも児童青年精神医学会には品のよい方が多いので、こういう問題に対しては患者の側に立つ人が多いんですね。少なくとも、稲村さんを擁護する人はいなかったように思います。ただ、調査報告書については、もう少し書きぶりに手心を加えてもと思っている人は、一定年齢以上の人にはいました。全体として言えば、積極的に稲村批判を展開する人もいない反面、擁護する人もいなかったと思います。学会なので、ちゃんと学術的に検討して、学会誌には稲村さんの反論も載せてますし、再反論も載せています。

山下 このときの問題は、その後に引きずったことはあったんでしょうか。

高岡 不登校そのものに対しては、これ以降はなかったと思います。不登校については学会発表自体が少なくなってますしね。ひきこもりに関しては、斎藤さんと私とのあいだでの論争があったわけですが、学会のなかではあまり議論になっていなくて、いわば場外乱闘みたいなものですね(笑)。

山下 ひきこもりについての治療論は、学会での論争はなかったんですか。

高岡 そうですね。児童青年精神医学会なので、おもには18歳までの年齢を対象としているからでもあるでしょう。


●精神医学化の過程は

山下 高岡さんは『不登校を解く』(ミネルヴァ書房1998)で、登校拒否の精神医学化の流れをていねいに整理されていましたね。その整理にもとづいて、いくつか質問したいのですが、まずは最初に登校拒否が精神医学化されたあたりのことについて、お聞きしたいと思います。

高岡 「不登校50年証言プロジェクト」のインタビューを拝見すると、佐藤修策さん(#01)や中沢(鷲見)たえ子さん(#24)など、いわばレジェンドの方々にインタビューされてますね。私はお会いしたこともないですし、たいしたものだと驚きました。最初に登校拒否の精神医学化をされたのは、佐藤さんや鷲見さん、それと高木隆郎さんですね。佐藤さんは精神科医ではないですけれども、これらの方々は、それだけの観察眼があったんだと思います。そこで「学校恐怖症」や「神経症的登校拒否」という名前がついて、その後、学校に行かない子どもたちのことが精神科医たちの目に飛び込んできたということだと思います。精神科医というのは因果なもので、飛び込んできた現実に名前をつけないと座りが悪いわけです。そこで精神医学化が起きてきたんでしょう。
 もう少し広い流れで言うと、66年に学校基本調査で「学校ぎらい(現在の不登校)」の数が報告されるようになってから、不登校の数はいったん減っていますね。それは、おそらく第1次産業が解体していくなかで、第2次産業がその人たちを吸収していく過程だったんだと思います。そのときは、登校拒否として精神科医の目に飛び込んでくることは少なかった。その後、社会が第2次産業から第3次産業へ移行していくなかで、そこで学校になじめない子どもたちが急速に増えていって、多くの精神科医の目に飛び込んできた。そういうことだったのではないでしょうか。

山下 しかし、最初の精神医学化は60年前後で、第2次産業化していく時代ですね。

高岡 そのころ症例とされた子どもというのは、弁護士やら第3次産業の職業の家庭の子どもたちで、当時はそういう子らが精神科医のもとに来たのではないでしょうか。

山下 たしかに当初は、都市部の裕福な家庭の子どもたちだったと言われていますね。そのころの精神医学化というのは、鷲見たえ子さんは力動精神医学の枠組みで「学校恐怖症」と捉えたのに対して、佐藤修策さんや高木隆郎さんは神経症の枠組みで見ていますよね。

高岡 そうですね。ただ、高木さんはその後、登校拒否は社会問題で、精神医学的な枠組みで捉えるのはまちがいだと断言されていました。高木さんは、当時と現在では考え方がちがっていると思います。

山下 高木さんにもインタビューさせていただきたかったのですが、健康上の理由で難しかったんですね。学校恐怖症はアメリカでschool phobiaと言われていたものを輸入したわけですよね。登校拒否もイギリスでschool refusalと言われていたものを輸入した。いずれも輸入概念を日本の現実にあてはめたと言ってよいでしょうか。

高岡 そういう言い方でいいと思います。精神医学化が始まるときは、残念ながら輸入から始まることが多いですね。イギリスはプラグマチックで実用的な捉え方をするので、school refusal(登校拒否)というほうが、実際の行動をあらわすものとして、受けいれられやすかったんだと思います。


●反―精神医学化

山下 その後、そうした精神医学化に異を唱える人たちが出てきたわけですね。高岡さんはそれを「反―精神医学化」という名前で、いわゆる「反精神医学」とは文脈がちがうものとして書かれてますね。

高岡 そうです。74年に藤本淳三さんが「登校拒否は疾病か」という論文を書かれていて、登校拒否は社会的文脈で考えるべきだということを主張されています。渡辺位さんのことはみなさんがよくご存じと思いますが、渡辺さんがおっしゃっていたのは、登校拒否というのは病理的な状況に対する正常な反応だということでしたね。

山下 高岡さんは、渡辺位さんの考え方はどう思われてきたのでしょう。

高岡 あまり面識はないんですが、書かれたものから言うと、全面的に賛成したいと思って読んだ記憶があります。

山下 それはいつごろでしょう。

高岡 河合洋さんの本を読んだころと同時期だったと思います。私は、河合さんとは親しかったんですね。河合さんは懐が広い方なので、私と同じように、斎藤環さんや山登敬之さんも大事にされていました。

山下 リベラルな方だったんですね。その後、偽精神医学化が起きたと指摘されていますが、これはどういうものでしょう。


●偽精神医学化

高岡 ひとつは、久徳重盛さんという小児科医が唱えた「母原病」ですね。一見、精神医学のような、あたかも家族力動に重点を置いているかのような装いで「母原病」を唱えていました。これは精神医学を歪曲したもので、精神科医で同調した人はいないと思います。しかし、80年代には広く世間に流通したものですから、多くの母親が責められてつらい思いをしたことと思います。
 もうひとつは「父原病」とでも言えるでしょうか、強い父親がいないことが問題だと言ったのが戸塚ヨットスクールの戸塚宏さんですね。これがどういう事態を引き起こしたかは、よく知られているとおりです。
 安倍晋三や下村博文が推進しようとしている「親学」は、その両方を引き継いでいるような流れですね。
 これらのものは、学術的な修練を経ているわけではないにもかかわらず、学問的な装いをもって親の問題だと決めつけているわけです。ですから、偽精神医学化と名づけました。

山下 そうしたなか、「登校拒否は病気じゃない」という主張が起きてきたわけですが、それを高岡さんは「反―偽精神医学化」と書かれていましたね。抗議の対象とすべき相手は「偽精神医学化」であって、最初の「精神医学化」ではなかったということでしょうか。

高岡 私はそう見ていました。失礼ながら、最初のレジェンドたちの学説は、そんなに広がりもなかったですね。ところが偽精神医学化された言説は、それなりの広がりを持ってましたから、敵とすべきは、そちらだったと言えるでしょう。最初の精神医学化は広がりもなかったですし、それほど害のあるような治療法ではなかったと思います。

山下 この図式のなかでは、稲村博さんはどこに位置づくのでしょう。親の会や市民による抗議は、稲村さんの記事を機に起きたものでしたね。

高岡 偽精神医学化です。「無気力症」とか「登校拒否症」という概念も、統計調査も治療法もダメだったわけですから、学術的な観点からみれば、偽精神医学と言ってさしつかえないでしょう。


●もうひとつの精神医学化

山下 『不登校を解く』では、98年時点の今後の見通しとして、「もうひとつの精神医学化」と「もうひとつの反―精神医学化」があると書いてましたね。

高岡 DSM(*6)などの操作的診断基準が出てきて、それを指したんだと思います。私自身はなじみがないし、好きではないんですが、ああいう基準に従っていくと、登校拒否を医学化する根拠はなくなってくるんですね。

山下 登校拒否という状態象ではなくて、もっと細分化した神経症的なあらわれをしている部分のみを医者はみるということでしょうか。

高岡 そういうことです。味気ないものですが、そういう消極的な意義はあるんじゃないかと思ったわけです。それに対して門眞一郎さんは「そうなると、ほとんどが診断名なしに位置づけられることになる」と言っていて、それは正しいと思いました。門さんは「疲労としての登校拒否」であるのだから、休む権利を保障することが必要だと言っていたわけですね。それが「もうひとつの反―精神医学化」です。

山下 それは、高岡さんの見方とつながりますか。

高岡 同じですね。やはり、社会的な文脈で考えるべき問題で、医療の問題ではないということです。

山下 それはよくわかります。ただ、あえてうかがいますが、登校拒否は社会的な文脈で考えるべき問題だとなって、医者のなかで登校拒否の治療論が確立しなくなってしまったことが問題だという見方もあると思います。高岡さんも「偽精神医学化」は否定されたわけですが、「精神医学化」そのものは否定していないように思います。登校拒否について、力動精神医学や神経症の治療論を確立しなおす必要があると思われていたのでしょうか。

高岡 それはなかったと思います。家族力動を問題にしないといけないときがあるとすれば、両親が学校価値に縛られていて、子どもに押しつけている場合ですね。その結果、2次的に家族力動にゆがみが生じていれば、それは治療の対象になり得ますが、そこで必要なのは親の価値観を変えていくということですね。しかし、それは強い父親とかやさしい母親というものとはいっさい関係ありません。

山下 神経症についてはどうでしょう。

高岡 神経症という概念は、どういう意味で使うかによって、ずいぶんちがってくるんです。通常、症状のあらわれが一つの行動だけということはないですね。学校に行かないだけじゃなくて、いろいろな神経症の症状をあらわしていることが多いのですが、いろんな症状があっても、不登校・登校拒否のほうさえ相対化してしまえば、それらの症状は消えてしまいます。それらの神経症の症状は、つまりはストレス反応ということだと思います。

山下 神経症が生じているのは、自分が否定されているから生じているものだということですか。

高岡 そうですね。比較的単純な、環境との関係における反応ということですね。

山下 渡辺位さんがおっしゃっていたように、否定的なまなざしがなくなれば「2次症状」はなくなると。

高岡 渡辺さんが言われていたように、病理的な状況に対する正常な反応という言い方で充分で、わざわざ神経症と言う必要はないかと思います。


●自閉症の精神医学化は

山下 児童精神医学では、登校拒否の精神医学化と並行して、自閉症が問題になったわけですね。自閉症が精神医学化されてくるプロセスと、登校拒否の精神医学化のプロセスは、つながりがあるんでしょうか。

高岡 もともとのつながりはないんじゃないでしょうか。ただ、自閉症も、ある時期までは知的障害をともなう自閉症のみが問題にされてきたわけですね。それがある時期から、アスペルガー症候群など、知的障害をともなわない自閉症が問題化されてきた。それがどこで生じてきたかといえば、第3次産業優位の社会への移行にともなってでしょう。それは不登校が急激に増えていく時期と重なりますね。その点では一致していると思います。
 自閉症が着目され始めた60年代の高度成長期のころは、知的障害をともなわない自閉症の人というのは、役立つ労働者だったんでしょう。凡人だったら投げ出すようなことをコツコツできる。第2次産業優位の社会では、そういう人たちが社会のなかに座る場所を見つけられていたわけです。ところが第3次産業優位の社会になると、悪く言えば人をだまして仕事をすることが必要とされるわけですが、そういうことは自閉症の人がもっとも苦手とすることです。そういうなかで急速に浮上してきたのが、アスペルガー症候群などです。それまでは診断名もついてなかった人たちが精神科医のもとに来るようになって、そこで数が増えてきている。

山下 なるほど。発達障害についても、もっとお聞きしたいところですが、長くなってしまうので、これぐらいにとどめたいと思います。いずれにしても、第3次産業優位の社会のなかで浮上してきた問題があるということですね。


●格差社会における不登校

山下 最近の不登校の状況については、どう見ておられますか?

高岡 診察室を通じて見る範囲に縛られるので、全体がよく見えているかはわかりませんが、いまは不登校になっても、子どもも親も、かつてほど学校にもどることに固執しなくなったように思います。一時期、バブル崩壊後ごろは、また固執していると思えた時期があったんですが、最近は固執せずに、すんなり学校から離れていくことができている。「最近の親御さんは、学校に行かないぐらいでオロオロしなくなった。それじゃ商売あがったりだ」と言っていた精神科医もいましたが(笑)、それはたいへんいいことだと思ってます。

山下 山田さんは、どうですか。親の会をやっていて、そういう変化は感じますか。

山田 私たちは1991年から親の会をやってきましたが、親の会に集まってくる親御さんというのは、いわゆる専業主婦層が多かったと思います。中間層の専業主婦たちが、子どもが学校に行かなくなって、まともにオロオロしたわけですね。「子どもの教育はおまえにまかせていたはずではないか」と夫(=父親)に責め立てられて母親はパニックになった。しかし、実際に親が集まって話し合ってみると、いろんなことが問い直されたわけですね。90年代を通じて、専業主婦とは何か、子どもを育てるとはどういうことか、親である自分自身の育ちはどうだったのか、子どもが学校へ違和感を持っているというのはどういうことか、そこから何かを必死でつかみとろうとした熱気に支えられて、親の会はやってこれたんです。
 やがてオロオロしなくなった親というのも、そういう層の親ではないでしょうか。しかし、いまの不登校の数のなかには、安定した家庭基盤のない子どもたちもいますね。たとえば大阪の門真市は、小・中学校の長期欠席者の数が非常に多いんですが、親の会は成立しないんです。近郊の高級住宅地みたいなところでは親は集まるけど、成り立たない地域もある。不登校を考えるとき、社会格差みたいなものを織り込んでいかないと具合悪くなってきていると思います。

高岡 親の会も社会の階層分化に対応できていないと、階層が上のほうの人にしか対応できてないということになるわけですね。私の診察室に来る人も、階層的には中・上の人たちと言えるでしょう。その点、私もよく見えていない面もあると思いますが、いま山田さんがおっしゃた子どもたちは、学校に行っても、あまり利益にならないという社会的環境に追い込まれているところがあるんじゃないでしょうか。
 階層が上のほうの人は学校に行かなくてもなんとかなる、下のほうの人は行っても利益にならない。不登校という現象として重なるところはあっても、あきらかに階層差は出てきているのでしょうね。

山下 長期欠席には、もともと怠学(truancy)の問題があって、そこにはくくれない問題として登校拒否が出てきたところがありますよね。

高岡 怠学(truancy)というのは、もともとイギリスで問題化されたもので、最近だと、親の介護のために学校に行けないとか、あるいは麻薬の取引で忙しくて行けないとか、そういうものを含みますね。イギリスにおけるNEETの背景というのも、そういうものですね。
 日本でも広い意味での非行との関係はあると思います。その場合は、学校に行く行かないは第一義的な問題でなくて、非行をどうするかということが問題になっているわけです。これは格差社会が拡大するにつれて増えてくるのではないかと思いますね。

山下 80年代にも校内暴力や暴走族が問題になったわけですが、ヤンキー文化のあった時代と、また様相がちがってきてますよね。非行も、いわば個人化してきている。

高岡 そこには、暴力団対策法の影響なんかもあるでしょうね。ケツ持ちしてくれる人がいなくなってしまった。
 ところで、親の会などで世代の分化はないですか。もともとの人と新しい人に分かれていて、中間がいないというようなことは?

山田 親の会の世話人レベルでも、新陳代謝がないことが問題になってます。

高岡 世代交代ができないことが問題だというのは、いろんなNPOで聞くことですね。これも大きな問題になっているんだろうと思います。
 不登校だけではなく、いろんなところで階層分化や二極化している問題は起きているんだろうと思います。そこにNPOなどがどう取り組んでいけるかは、難しいところもあるんだろうと思います。


●第3次産業社会の公害

山下 高岡さんは、学校というのは社会が第1次産業から第2次産業に移行する時代に役割を果たしたもので、第3次産業優位の社会では、第2次産業型の学校こそが社会に不適応を起こしていると言っておられましたね。それは、第2次産業から第3次産業への移行期にはクリアな問題意識だったと思いますが、いまや第3次産業が当然の社会になっていますね。そうしたなか、第3次産業優位の社会のしんどさというのも、いろんかたちで出てきているように思います。それは、これまでの不登校の枠組みでは捉えきれなくなってきているようにも思いますが、いかがでしょう。

高岡 ただ、いまの学校制度のなかでは、相変わらず第2次産業的なものが続いてますね。たとえば、旧ソ連の教育をモデルとした集団主義教育です。この集団主義教育で唱えられてきたスローガンは「万人はひとりのために、ひとりは万人のために」です。それが正しくて民主的と思われていたわけです。しかし、実際のところ、それがいかに抑圧的だったかは、たとえば原武史さんが『滝山コミューン一九七四』(講談社2007)であきらかにしています。
 集団主義教育は、まったく時代遅れになっているはずなのに残っている。そこは無視できないと思います。これが解体していけば、学校もずいぶんちがってくると思います。それまでは、第2次産業と第3次産業のあいだにある矛盾は出てくるでしょうね。
 いま、不登校の数が13万人前後で推移してますよね。ここしばらくは頭打ちで小刻みに推移してきたわけですが、これがまた、どっちの方向に推移していくか。また、ぐんと伸びてくる方向に行くと、学校も変わってくるんじゃないかと思います。

山下 おっしゃることはよくわかります。ただ、たとえば、ひきこもっている人のうち、不登校経験者は3割くらいですね(内閣府「若者の生活に関する調査報告書」2016)。7割は不登校経験者ではない。学校との関係ではなくて、この第3次産業優位の社会との関係において、不登校と同じような状態像を示す人が増えてきたとも言えると思います。第3次産業型の社会から漏れ落ちてしまって、それを支えるものが家族しかないという問題がある。そのあたりはいかがでしょうか。

高岡 ひきこもりにも、いろいろあると思いますが、あえて類型化すれば、コミュニケーション優位の社会になじめないという点では共通していると思います。そういう意味では、第3次産業社会にすっと入っていけない人がひきこもりを構成しているのはたしかだと思います。
 社会が第2次産業社会に移るときにも、いろんな公害が出ましたね。それと同じように、いまの社会になじめない人が苦しんでいるのは、第3次産業社会の公害とも言えると思います。


●勤労に価値なんてない

高岡 同じような問題は、今後、おそらく高齢者で出てくると思います。ずっと生産を第一に考え生きてきた人が、ある年齢から消費による社会参加しかなくなってくる。それに対して、年金を支給すれば済むという問題ではない。私は、働くことが週休3日もしくは週休3日半という社会にシフトしていかないと、こうした問題は解決しないと思います。つまり、労働による社会参加と消費による社会参加が、同等に扱われる社会です。

山下 学校に価値を置かないことが不登校の問題解決になっていくように、賃労働に価値を置かないことで、自己否定感も薄まって、問題解決につながるということでしょうか。

高岡 そうです。生産だけが社会参加ではなくて、消費によっても社会参加しているわけです。それがあたりまえの価値観になっていく必要がありますね。消費がなければ、いくら生産してもダメなわけですから。

山下 勤労の価値が幅をきかせていることがやっかいということですかね。

高岡 勤労に価値なんてないことはわかりきっているんですが、いまだに捨てきれないで残っているんですね。ですから、いまは過渡期ではないですかね。勤労の価値を捨てた後のものが、まだ出てきてないですからね。

山田 しかし、私なんかは第2次産業で救われたんですね。私は大学で全共闘運動をしていて、シモーヌ・ヴェイユの影響もあって、板金工場で働き始めました。それは、私の精神衛生にとって、ものすごくいいことだったんですね。大学で卒論を書いているころは、何の手応えもないまま、わけわからんようになってたんです。しかし、6年間、町工場で働いて、働くということはこういうことかと実感するものがありました。その後、工業高校の定時制高校はおもしろいのではないかと思って、それなら教師になってもいいかと思って教師になった経緯があります。実際、第2次産業と関わって、物と関わる仕事のなかで自信を回復していった子どもたちはたくさんいました。しかし、教師というのは、学校の教室にいる生徒の姿しか見てないんですね。これはよくないと思って、子どもたちが働いている姿を写真にとって文化祭で展示したことがあります。それはおもしろかったです。みんな、昼間の働いている姿を知らないわけです。それは教員だけではなくて、子どもどうしも、おたがいにそうだったんですね。

高岡 いま、定時制高校に来ている生徒で、昼間に働いている人はいるんでしょうか。

山田 継続的に働いているのはごく少数です。発達障害や何らかの精神疾患で投薬されている生徒が半数を超す学校もめずらしくない。実際、良好な働き口もないんですよ。そうした子どもたちは、自信がないのがもろに見えていますからね。第3次産業にとって、自信がないことほど障害になるものはないですね。
 私なんかは、労働が人間をつくるという古い労働観をもって板金工になったところがあるわけですが、働くということの価値も、問い直さないといけないところがある。一生を通じて意味や価値のある仕事に定着すべきだという強迫観念からいかに抜け出せるか。そういうことを考えないとならないところに来ているんだと思います。


●教育機会確保法について

山下 雑誌『精神医療』83号(批評社2016)で、高岡さんと不登校新聞の責任編集で「学校と精神医療――病んでいるのは子どもか? 学校か?」という特集を組みましたね。その際、教育機会確保法(*7)について、私も批判する立場から書かせていただきました。この法律についての高岡さんの見解をお聞きしたいと思います。

高岡 この法案が出てきたとき、不登校新聞の東京編集局の方から、どう考えたらいいんでしょうと、きかれたことがあります。そのとき私は、「こんな小さな問題で組織が割れるようなことにはしないほうがいい」と言ったんです。なぜなら、最初の案がそのまま法律になることは絶対にないと思ったんですね。徹底的に骨抜きにされて、最初とは似ても似つかぬ姿になるにちがいない。自民党の保守層は巻き返してくるし、共産党は反対するに決まっているし、民主党(当時)は、お金持ちを支持基盤にした議員は賛成するだろうと。結局は力関係で決まってくるから、賛成する人も反対する人も何だったのかとがっくりくるようなものになるにちがいない。だから、こんなもので組織が割れるようなことにはならないほうがいいと言ったんです。不登校新聞については、紙面では両方の議論を載せて、自由な議論ができる新聞であることを打ち出したほうがいいと言った記憶があります。
 この法律は、安倍首相や下村博文が熱心だったそうですが、彼らは自分の劣等感の裏返しとして、教育にコミットしているように思います。彼らには、不登校のなかでも、ごく一部の一発逆転の人だけが目に入っているんでしょう。発達障害でも同じことがありますね。天才がいるにちがいないと。しかし、こういうものが広い支持を得られるわけがありません。この法律をめぐる動きというのは、その程度のものだったと思います。
 私は法律の賛同者に名前が入っていて、その後、「なんで名前を載せたのか、はずしてくれ」と言われたことがあります。しかし、私は自分が内容に賛成するかどうかと関係なく、役立つものならどうぞという程度にしか考えてません。ですから、そのまま残してますが、どちらにしてもたいした問題ではないと見るべきでしょう。


●危ない面もある

山下 法律はそうだとしても、私はこの法律をめぐる議論で出てきた論点は、きちんと考えておかないといけないと思っています。そのひとつは、当初の案にあった「個別学習計画」をめぐる問題でした。子どもが学校に行かなくても、親が個別学習計画を立てて、教育委員会がそれを認めれば、家だろうがフリースクールだろうが、どこで学んでもいいという案だったわけですね。しかし、実際には、親と子どものニーズはちがうことが多いですし、こういうものができたら、親が自分の不安や教育への期待から、かえって子どもを追いつめてしまうこともあるのではないかと懸念したんですね。

高岡 怒られるかもしれませんが、私はホームスクーリングやホームエデュケーションというのは危ないと思ってるんです。気をつけないと、オカルトみたいなものが出てきてしまう。世界的に見れば、そういう動きもありますね。日本でそういうことが起きていないとすれば、それはまだオルタナティブな勢力として小さいからだと思います。もっと広がるか、逆に追いつめられるかすると、オカルトが出てくるでしょう。そこは警戒しないとまずいと思います。

山下 オカルト的というのは?

高岡 安易な物質文明批判みたいなことに陥ると危ないですね。そのひとつは、エコロジー思想でしょう。私がエコロジー思想をまずいと思うのは、それが全体主義に重なるからです。意外に思われるかもしれませんが、ナチスの原点はエコロジーです。緑の党にはナチスの影響がありますし、エコロジー思想と全体主義には親和性がある。勢力が小さかったり、個人の思想信条として言っているぶんにはさしつかえないですが、社会的に大きな影響を持ち始めると、全体主義につながる危険性があります。
 一方で、英才教育をするオルタナティブスクールということであれば、すでに企業がやっている学校もありますよね。英才教育で勝負しようと思っても、資金力のある企業の学校には、いまのオルタナティブスクールと言っている人たちは勝てっこないです。天才的な人がまぎれこんでいることはあるかもしれないですが、それ以上は出てこないでしょう。どちらにしても、挫折するのでなければ、オカルト化してしまう危険があると思います。

山下 近代化や産業が高度化した社会のしんどさはあるわけですが、そのオルタナティブを考えるとき、第3次産業社会では、既存の学校よりもオルタナティブスクールのほうが強いと考えるところもあれば、エコロジー的なものに根ざしてオルタナティブを考えるところもあるのだと思います。どちらも、気をつけないと危ない面はあるのでしょうね。社会運動のなかでは、内部の異論を許さないということも起きがちですし、そのあたりは注意が必要だと思います。

山田 私も親の会には関わってきたんですが、一貫してホームスクーリングやホームエデュケーションという考えには同調できなかったんです。現実問題として、家庭が居場所にならない子どもはたくさんいるし、どんなに理想的に見えている家庭であっても、子どもが親とのあいだに一定の葛藤を持つことは、かならずあるはずです。その親が、子どもが何かを学ぶ場に大きな力を持つことについては、強い違和感があります。
 休息の権利ということについても、家に居場所のない子にとっては、かろうじて学校というものが、家のしんどさから逃れられる唯一の場だったりすることもあるわけですね。先ほども言いましたが、いま、学校にも家にも居場所がない子が出てきてますね。そういう大きなハンディを背負って暮らしている子どもたちがいる。ときどき起きる事件を新聞で読むだけでも、そこに、そういう影を感じますね。

高岡 虐待や虐待に準ずるような家庭が増えていることは、たしかだと思います。これまでは、そういうことと無縁だと思っていたホームスクールの人たちも、無縁のままでいられるかと言えば、そうではないでしょう。私は、家族というものと社会というものはハッキリ区別する認識がないと、たいへんまずいことが起きるんじゃないかと思っています。


●学校を脱出したとしても

山下 どちらにしても、親の影響が強いというのは、まずいんじゃないかということですね。ひとつは、経済的に厳しくて、親に子どものめんどうをみる余裕もないなかで、学校や社会との縁が切れてしまっていると、まずいことになるんじゃないか。それを、これまでの不登校の文脈で見ているだけでは、見過ごしてしまうんじゃないかというのが、山田さんの問題意識ですよね。

山田 そうです。

山下 もうひとつには、ホームスクーリングやホームエデュケーションなどの場合に、親の価値観が子どもに強く影響してしまっていると、これもまずいのではないかということですよね。ややもすれば、学校に通っている場合よりも強い教育幻想を子どもに押しつけてしまうことになりかねない。なんらかのネットワークなどがあって、親の価値観が問われて相対化できることがあればいいのかもしれませんが、私も、そこはあまり楽観的に見てはいけないように思います。
 高岡さんは、学校からの脱出が大事だとおっしゃってきたかと思いますが、学校から脱出したとしても、それがよりよい教育を求めるということになると、かえって教育からの脱出にはならなくなってしまうようにも思います。また、学校を脱出しても、家族を相対化できなくなってしまうのではまずいと思うのですが、いかがでしょう。

高岡 それはおっしゃるとおりだと思います。学校と教育ということを考えるとき、学校を否定していながら教育を重視する人がいますね。それは私にはまったくわかりません。全共闘運動は教育自体を否定していたんですが、学問というのは自分で見つけて考えていくことですね。いい教育制度だとか、いい教育なんてあり得ません。学校はダメだけど、いい教育はあるなんてことは考えられません。
 もうひとつは、家族についてでしたね。私は、家族というものは社会とは相反するものだという視点が絶対に必要だと思っています。その視点がなくて、家族のなかに社会が侵入してしまうことになると、家族のなかに生きている人はボロボロになってしまう。そこは厳密に区別しておかなければいけないと思います。

山下 家族というのは、吉本隆明さんが言うところの対幻想の場ですね。吉本さんは、対幻想と共同幻想は逆立すると言っておられた。

高岡 そうです。共同幻想が対幻想に侵入してくることになれば、それは人間を壊していきますから、たいへんまずいです。学校も教育も共同幻想ですからね。これが家族に侵入するのはまずいです。そういう意味では、小さいところでは宿題なんてものはないほうがいいし、ホームスクーリングやホームエデュケーションというのは危ないと思います。

山下 不登校もひきこもりも、共同幻想から対幻想の世界にいったん撤退して、その後、共同幻想とどう折り合いをつけるかというところがありますね。

高岡 そうですね。対幻想への撤退と、それから個的幻想への撤退ですね。

山下 しかし、家族も流動化していたり、親が経済的にも精神的にも余裕を失っていたりすると、家族は撤退の場にもなりにくくなってきている面はありますね。そうなると、ひきこもって個的幻想に撤退することも難しくなっているようにも思えます。そういうなかで、これまでとちがったかたちで、いろんな問題のあらわれが出てきているような気もしますが、いかがでしょう。

高岡 そうでしょうね。しかし、その人の表現が保たれているうちは大丈夫だと、私は思います。それはマンガや小説などの表現のこともあるでしょうし、どういうものであれ、何らかの表現ができていれば、そこには希望があります。しかし、それが押しつぶされたり、あるいは制度にからみとられていくことになると、希望はなくなっていくんじゃないでしょうか。
 いまの不登校の活動のなかでも、文学やマンガなど、いろんな表現が出ていますよね。それがあるうちはいいと思います。その表現がかすめとられて、予想の範囲に、あるいは正しい範囲におさまってしまうようになったら、危機を感じたほうがいいと思います。

山下 あるいは教育の「成果」になってしまったり、ですよね。高岡さんは人間には愚行権があると言ってましたけど、一見、ムダだったり愚かだったりするものが許容されなかったり、あるいは正しさや教育に回収されてしまうと危ないですよね。今日は、あらためて、いろいろお話をうかがえて楽しかったです。ありがとうございました。

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*1 内ゲバ:内部ゲバルトの略。ゲバルトはドイツ語 Gewalt(威力、暴力)のことで、同一党派または同一陣営などの内部での暴力を使用した抗争のこと。左翼党派内または左翼党派間での暴力を指す場合が多い。『検証内ゲバ』(社会批評社2001)によると、1969年以降、死亡者113名、負傷者4600名以上、発生件数約1960件以上となっている。

*2 1969年9月、森山公夫らを中心とする東京大学精神科医師連合は病棟を占拠し、自主管理した。対立する東大当局側の医師たちは「外来派」と呼ばれた。東大精神科の分裂は、1996年まで続いた。病棟の外観から赤レンガ闘争とも呼ばれる。

*3 力動精神医学:精神現象を生物・心理・社会的な力のぶつかりあいや相互的因果関係の結果として捉える精神医学。狭義には精神分析を指す。これに対し生物学的精神医学は、精神疾患を「脳の病気」と捉える。

*4 スチューデント・アパシー:副業には専念できるが、個人に期待される社会的役割である本業からは選択的に退却し、無気力・無関心・抑うつなどを呈する神経症として、精神科医の笠原嘉により提唱された。

*5 パターナリズム:親と子、上司と部下、医者と患者との関係などで、強い立場の側が、相手の利益のためには本人の意向にかかわりなく、生活や行動に干渉し制限を加えるべきだとする考え方。語源はラテン語の pater(父)。

*6 Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders:アメリカ精神医学会が発行する、精神障害の診断・統計マニュアル。現在第5版まで出ている。

*7 教育機会確保法:2015年5月、超党派の議員連盟により提案され、フリースクールや夜間中学校など多様な場が教育機会として認められると期待された一方、かえって不登校の子が追いつめられると反対や慎重論の声もあり、大幅に変更された案が2016年の通常国会に上程され、2016年12月に可決・成立した。
posted by 不登校新聞社 at 22:38| Comment(0) | 医療関係
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