2018年08月07日

#44 兼子和美さん

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(かねこ・かずみ)
静岡市在住。現在24 歳の娘さんが小学校2 年生で不登校(2001年)、8 歳から18 歳まで11 年間、ホームエデュケーションで育った。15 歳のとき、学校にも行ってみたくなり、県立単位制高校に進学、ホームエデュケーションと半々の4 年間を過ごし、その後、公立大学国際関係学部に入学。13 歳のときに「植物を育てながら庭をつくる」仕事をしたいと思い立ったことから、現在、娘さんはイギリスの大学でガーデニング&ガーデンデザインを勉強している。

インタビュー日時:2018年5月24日
聞き手:奥地圭子
場 所:東京シューレ王子
写真撮影:本間周子

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〈テキスト本文〉

奥地 このプロジェクトでは、これまで、不登校に関わってきたさまざまの立場の方、当事者、親の方などに話をうかがってきました。ただ、ホームエデュケーションでお子さんの成長を考えてきたという方には、まだ登場していただいていないので、今日はホームエデュケーションについて、いろいろお話をうかがいたいと思っています。
 ホームエデュケーションでやっている方には、最初からわが家では学校に行かせないでホームエデュケーションでやるんだという方と、不登校をきっかけにホームエデュケーションを始めましたという方がおられますが、兼子さんの場合はどちらでしょうか?

兼子 不登校になってから、ホームエデュケーションをスタートしたというかたちになります。

奥地 日本ではそういう方が多いですよね。では、まずはお子さんの不登校経験をお話しください。

兼子 娘はいま24歳ですが、小学校2年生の3学期1月に、お腹が痛くて「学校に行くのが心配」ということから始まって、「学校に行きたくない」となって、不登校が始まりました。


●心に穴が空いて

奥地 親から見て、何か原因とかきっかけはあったんでしょうか。

兼子 それまでは、娘は「学校に行きたくない」と言ったことはなくて、ほぼ皆出席で学校に通ってたんです。1年生のときは「楽しい」って言ってたんですけど、2年生のあたりから少し顔の表情が曇ってきて、夏休みに「心に穴が空いて何をしても埋まらない」と言ったんです。

奥地 すごい言葉ですね。

兼子 そうですね。7歳の子が言うようなセリフではないなあと思って、そのときから、「もしかしてこの子は、この先不登校になるんじゃないかな」という予感がありました。

奥地 「心に穴が空いて……」と、学校に行きながら感じていたというのは、どういう学校の状況が関係していると思われましたか?

兼子 夏休み以降も、娘は「行きたくない」と言うことはいっさいなく、表面的には変わりがなかったので、何かはあるんだろうと思っていましたけど、いじめのような具体的な出来事ではない気がしていました。その後、学校に行けなくなった理由について、娘は「このまま学校に行き続けたら、先生の言うことを聞くだけのロボットにされてしまう」と言っていました。「真っ黒な怪物がやってきて、その怪物に心を占領されたら、もう元にはもどれなくなってしまう」みたいな表現もしていました。ですから、具体的な何かというよりも、全体的な感じだったと思います。
 また、大人になってからの表現ですが、「先生は教室の、学級という王国の王様で、その先生に逆らうことはできなかった」「学校全体の圧迫感みたいなものがイヤだったんだと思う」と言っていました。

奥地 やっぱり、学校に気持ちよく、楽しく通っていたわけじゃないという印象ですね。

兼子 そうですね。「学校に行くのが心配」と言ってから2週間後ぐらいに、娘が「学校に行きたくない」と言ったので、私のほうも、学校に行かせなくなりました。

●家庭が学校に支配されている

奥地 多くのお母さん方は、子どもが「行きたくない」とか「お腹が痛い」と言う程度だったら、がんばって行ってほしいと思って、努力させたり、「送って行こうか」となったりするんですけど、兼子さんの場合は、そうは思わなかったんですか?

兼子 思わなかったです。娘が「心に穴が空いて……」という表現をしたころには、私にも「学校ってイヤだな」という気持ちがあったんですね。大きな川に流されて、行きたくない方向に行かされるというか。それと、学校が家の上位にあって、家庭を支配されているような感じがしていました。学校に合わせるために家庭が支配されていて、毎日、毎日、子どもに「早くしなさい」とか「宿題やっちゃいなさい」とか、そういう言葉をかけたくないのに、かけないといけない。そういうのはイヤだなと思っていたんです。
 あと、学校に行っていると、何か娘のよいところがつぶされて、失っていくものがあるんじゃないかなという感じがあって、「このまま学校に行っていたら取り返しのつかないことになっちゃうかも」みたいな気持ちもありました。ですから、娘が「行きたくない」って言ったときには、「あ、そうだね」って、わりとあっさりと。

奥地 お母さん自身が、学校に対していろんなことを感じていたことがベースにあったということですね。うちの子も、不登校になった最初のころ、作文に「ベルトコンベアーに乗せられてどこかに運んで行かれてるようだ」ということを書いてました。小学生でね。そういう強い力で、どこかへどんどん運ばれるような感じは、子どもたちはかなり感じているのかもしれないですね。学校は、ほんとうに自由に本人の気持ちで動いたり学んだりはしにくい空間ですからね。

兼子 娘は、集団で子どもどうしいっしょにいることとか、学校の授業そのものは好きだったんですけど、それを超えた学校全体の圧力みたいなところで、自分が自分でなくなっていくような感じがして、それがすごくイヤだったのではないかと思います。

奥地 それはよくわかりますね。そうすると、娘さんが「行きたくない」と言ってから、家でやっていく暮らしが始まったんですかね?

兼子 はい。ただ、ほんとうに行きたくないんだったら、ずっと行かなくてもいいと思っていたんですけど、最初はほんとうに行きたくないのか、娘の気持ちがよくわからなかったので、勝手に親が行かないでいいと決めちゃうのもまちがいかなと思って、しばらくはようすを見ることにしました。

奥地 それで、ようすを見た結果は?

兼子 2年生の残りの3学期は、バレンタインデーのときに「お菓子をつくるから明日は学校に行く」と言うんですけど、次の日には、やっぱり起きないし、学校に行かないというようなことが何回かあって、3年生になって新学期も行かなかったので、これはもう、ほんとうに行きたくないんだなと判断し、しばらく学校から離れてやっていこうって決めました。


●近所の子たちと遊びながら

奥地 その初期のころは、お子さんはどうやって家で過ごされていたんですか?

兼子 うちの娘は、友だちと遊びたいという気持ちがすごく強かったので、近所の子たちや学校の友だちと、毎日遊んでました。

奥地 お友だちは、学校から帰ってきてから?

兼子 そうです。学校から帰ってくると、うちに来たり、こちらから遊びに行ったりして、遊べるかぎりは遊んでいました。外で遊ぶのが好きで、友だちがいないときは、いっしょに買い物に行って、その途中で公園で遊んだりしてました。
 私は仕事をしていたので、最初のころは祖父母に来てもらったり、児童クラブに特別にお願いしたり、会社につれて行ったりしていたんですけど、そのうち娘が「家でひとりでいるほうがいい」と言ったので、私は仕事の時間を短くして、ひとりで留守番してもらうようにしました。「ママがいないあいだは、あなたが好きなことを何しててもいいからね」と言って、マンガとかDVDを置いて。娘は家で好きなことをして過ごしてました。

奥地 親としては無理に学校に行かせようとは思わなくても、学校の先生は、なんとか学校へ来れるようにしてあげようと、さまざまに連絡を取ってきたり、登校刺激をされるのが通例でしたけど、そのあたりはどんな感じだったんですか?

兼子 やっぱり学校からはいろいろありました。校門タッチとか。

奥地 校門タッチ、まだあったんですね。

兼子 「校門のところまで来てみないか」とか「放課後に来てみないか」とか「学校から紹介する病院に行かないか」とか、担任の先生が自宅に来てくださるとか、さまざまなアプローチがありました。

奥地 先生が自宅に来られたときは、お子さんはどうしてたんですか?

兼子 2年生のときは、知っている担任の先生だったので、来られたら会っていましたけど、その後、学校にまったく行かなくなってからは、学校に近寄りたくないし、先生にも会いたくないと言って、3年生からは会わなくなりました。
 その後、中学卒業までまったく行かなかったんですけど、中1の終わりごろからは、もう会っても平気みたいな感じだったようで、先生に会いに行くこともありました。

奥地 なるほど。では、ご家族、お父さんや祖父母は、学校に行かないことについて、どんな気持ちだったんでしょう?


●家族の理解は

兼子 夫は学校が好きな人で、学校はほんとうは行ったほうがいいと思うけど、イヤなのを無理に行かなくていいという考え方だったので、「行け」とは言いませんでしたが、ときどき「学校は行ったほうがいいよ」と言ってました。その後は「学校は行かなくてもいいけど、勉強はしたほうがいいよ」に変わりました。

奥地 そこは変わったんですね。家にいるのは認めるけど、勉強はしておいたほうがいいよと。

兼子 そうですね。学校より勉強が大事という考え方でしたね。登校圧力というか、学校に行けと一番言っていたのは私の両親で、同居していなかったので、電話があったときなどには、かなり言ってきました。

奥地 直接、娘さんと会ったときも、そういうことをおっしゃっていたんですか?

兼子 娘にも言ってくるので、私も「娘に会いたいんだったら、会ったときは、いっさいそういうことを言わないで。言うなら会わせない」と、けっこう強く言いました。私が電話でケンカしているのを娘が聞いちゃうと、「私のせいでお母さんとおじいちゃんおばあちゃんがケンカしてる」って泣いちゃうんですよね。

奥地 そういうこと、ありますよね。でも、お子さんからしたら、学校に行かないやり方を受けとめられて、日常を過ごしていたわけですよね。でも、そのころはまだ、ホームエデュケーションという意識はなくて、まずは不登校というか、学校に行かないという感じだったんですよね。

兼子 不登校の意識が強かったと思います。

奥地 その後、ホームエデュケーションという考え方には、どのように出会ったんですか?


●ホームエデュケーションとの出会い

兼子 娘が不登校になったときは、まだホームエデュケーションという言葉や概念は知りませんでした。でも、なんとなく「学校がもしイヤだったら自分で育てよう」という気持ちが、自分のなかにあったんですね。
 娘が学校に行かなくなって1カ月くらいして、『学校は義務じゃない』(エデュケーション・アザワイズ/明石書店1997)というイギリスのホームエデュケーションを紹介した本に出会って、「あ、こういう子どもの育ち方があるんだ。なんだ、家で育てるのは教育のひとつでいいんだ」と知ったのが、最初でした。
 その後、いろんな本を読んで、東京シューレの本も読んでホームシューレのことを知って、すぐにホームシューレに入会しました。2002年5月、娘が小学校3年生のときでした。

奥地 ホームシューレに出会う前から、イギリスのホームエデュケーションのあり方が頭のなかにあったということですね。そうすると、ホームシューレに入会されたときは、わが家はホームエデュケーションでやっていこうという感じだったんですか?

兼子 はい。3年生の新学期に娘が行かなかったので、娘に「こういうホームエデュケーションっていう、おうちで育つやり方があるけど、どう?」って聞いたんですね。そうしたら娘は「そういうやり方があるんだったら、やってみたい」と言ったので、ホームシューレの資料を見せて、入会することにしたんです。ですから、いちおう娘の承諾を得てホームエデュケーションを始めたし、ホームシューレにも入会しました。
 そのときには、そんな先のことはわからないから、まあ2〜3年、とりあえずやってみよう、みたいな気持ちでスタートしました。


●家で子どもひとりで

奥地 娘さんが小学校3〜4年のころは、実際上、どんな1日の過ごし方をしていたんでしょう?

兼子 朝は、自分が寝ているあいだに出かけられるのはイヤだと言って、私が仕事に行く前に起きてきて、朝ごはんはいっしょに食べるというところからスタートして、私が仕事に行っている半日は、家のなかで自分ひとりで遊べることで、好きなことをしていました。絵を描いたり、工作したり、ゲームしたり、DVDを見たり、本を読んだり。

奥地 ぜんぶ、自分でやりたいから、今はこれをやろう、次にはこれをやろうって、お子さん自身が考えてやっていたんですか?

兼子 そうです。もともと生まれつき好奇心が強くて、いろんなことに興味関心を持つ性格なので、やりたいことはたくさんありました。そのかわりオモチャだとか、あれ買ってこれ買ってというのも多かったんです。
   
奥地 昼間は、お子さんひとりだったんですよね。小学校3〜4年生で家でひとりというのも心配はあったと思いますが、おばあちゃんが来られたりはしてたんですか?

兼子 ほんとうに最初のころだけは来てましたけど、来ると、かえって娘は気をつかうんですよね。

奥地 いないほうが気楽なのね。

兼子 そう、ひとりのほうがいいって言うんです。

奥地 なるほど(笑)。しかし、小学校の低中学年の子を家にひとりで置いていく不安はなかったですか? たとえば火の始末だとか、人が来たらどうしようとか、地震でも来たらどうだろうとか。そこで、「親が仕事を辞めないといけないでしょうか」という相談を受けることもよくあります。

兼子 おじいちゃん、おばあちゃんといるよりは、ひとりのほうがいいんだけど、ほんとうはお母さんにそばにいつもいてほしいという気持ちはありました。私はフリーの仕事だったので、仕事をある程度減らして、家にいる時間を増やしていました
 これ以上、娘の状態が不安定になったり、どうしても、ひとりではいられないとなったら辞めるしかないけど、できるところまでがんばってみようと思って、そのギリギリのところでやっていました。

奥地 お子さんのようすや気持ちを見ながら、自分の仕事を調節していたということですね。それで、小学生時代に困ったことは起きなかったですか?

兼子 ひとりで困ったことはなかったみたいです。友だちの家に電話をかけて、家に呼んで遊んだりしていました。不安はあっても、わりと外には出かけられるタイプでしたし、何か怖い目に遭ったりしたことはなかったと思います。


●地域のなかで

奥地 ホームシューレとの出会いは、その後どうなっていったんですか?

兼子 ホームシューレには、娘が3年生の5月に入会してからずっと入ってまして、その当時は、ホームシューレのメンバーにも、年1回の合宿以外は、なかなか出会える機会がなかったんです。ホームシューレのなかで「お近くの方いませんか?」って聞いても、なかなかいなくて。ですから、最初は年1回の合宿を楽しみにして、あとは『ばる〜ん』という冊子で交流していました。

奥地 お子さんも、何か投稿してたんですか?

兼子 はい、最初から絵を描いて、毎月投稿するというかたちで、参加していました。

奥地 兼子さんのお住まいの地域には、家でやっていこうという人や、不登校の人たちのつながりがありますよね。それはどうやってできたんですか?

兼子 当時、不登校を考える親の会にも行ってたんですけど、時期的に不登校の子どもが集まって遊ぶような場はなくて、ホームシューレ以外は、家で育つ子どもどうしが出会う場はなかったんです。ですから、地域社会のいろんなものを活用して、子ども会に入ったり、地域のイベントに参加したりして、地域社会とつながってやってきました。
 のちになって、掛川市でホームシューレのサロンが月1回開かれるようになってからは、ひんぱんにやりとりするようになりました。

奥地 そうすると、小学校のあいだは、年1回のホームシューレの合宿に参加する以外は、地域で育ってきたわけですよね。でも、娘さんが学校へ行っていないことは、地域の人は知っているんですよね?

兼子 知っている人たちもいますし、知らないグループもありました。娘が人や雰囲気を見て、ここには言ってほしくないという場合があったので、いちいち娘に「ここには言ってもいい?」とか、「ここは絶対に言っておかないとまずいから、言ってもいい?」とか聞いていました。私はオープンにしてもよかったんですけどね。

奥地 本人は、あまり気にしないで、地域の子と遊んだり行事に参加していたんですか。

兼子 楽しく遊べる場所だったら、別に学校行ってる子でも行ってない子でもかまわないという感じでした。

奥地 そうできたのだったら、それはとてもよかったですね。


●中身よりも、やってたことが大事

奥地 ところで、小学校も高学年ぐらいになると、一般のご家庭では学習が気になるわけですね。だいたい不登校したら、あまり学校の勉強をその通りにすることはないですね。そのあたりは、お子さんはどういうふうにしていたのか、あるいは、親としてはどう考えておられたのでしょう。

兼子 学習に関しては、私自身は、小学生のうちぐらいは、生活と遊びから学んでいけばいいと考えていました。なので、本人が学校に対して否定的な感情があるうちは、教材学習みたいなものはやらせたくないと思っていたんです。もうちょっと平気になったり、本人が何かやろうというきっかけがあってからでも間に合うだろうと考えていたんですけど、夫のほうは、先ほども言いましたように勉強は大事という考え方なので、4年生ぐらいからは「勉強したほうがいいんじゃない?」と言っていました。

奥地 やっぱり高学年になると、より気になってくるんですよね。

兼子 そこで話し合って「あなたが大事だと思うんだったら、あなたが子どもと話し合って学習を勧めるのはかまわないけど、私は賛成じゃないから、いっさい関わらない」と言ったんです。娘が「教えて」って来れば、それは教えるけど、私から「やりなさい」とはいっさい言わないから、やるんだったら、ふたりで相談してどうぞって。

奥地 あはは、なるほど(笑)。それで、その結果、どうなったんですか?

兼子 最初はすごいケンカで、毎日、「やれ!」「やりたくない!」みたいな。しかも、窓を全開にしてケンカしているもので、近所の人に丸聞こえだから、私もさすがに「ケンカするのやめてくれない?」って言ったんですよ。そうしたら夫が「僕たちケンカなんかしてないもんね」と言って、娘も「ねーっ」って言って、そこでふたりがタッグ組んだんですよ(笑)。そして、おもしろいことに、そこからケンカしなくなっちゃったんです。なんでかわかりませんけど。

奥地 おもしろいですね。それで、結局、勉強の話はどうなったんですか?

兼子 娘は、やったりやらなかったりで、夫のほうも、チェックしたり、毎日厳しく見ることはなくなって、「やりなさいよ〜。わかんないところあったら、言えば教えるから」みたいな感じになっていました。娘は適当にやっていたので、はっきり言って、学習効果はあまりなかったと思います。
 ただ、あとから、娘は「私は学校には行ってなかったけど、学校の勉強もちゃんとしてた」って、胸を張って言うんですね。勉強の中身よりも、娘にとっては「私はやってたんだ」ってことが大事で、15分でも30分でもやってたから、「私は学校の勉強もしてた」って、自信を持って言えたところは、すごくよかったなと思いました。

奥地 そうですね、それ、意外と大きいかもしれないですよ。まったくゼロだと「できてない」「やってない」「みんながやってることを私はやってないからダメだ」みたいに思っちゃうんです。ちょっとぐらいやってると「まあ、ちょっとはやったもんね」みたいな気持ちになって、何か心理的な落ち着き具合に、ちょっとちがいをもたらすかなと思います。

兼子 地域の子と遊んでると、子どもたちは「学校の勉強しないと遅れちゃうよ」とか「学校に行かないとダメだよ」とか、平気で言うんですよね。

奥地 それもあるかもしれませんね。地域の子たちは、学校に行って国語・算数・理科・社会をやっているのを知ってるわけだから、自分はやってないとか、やっておかなきゃと思ったり、地域の学校の子とつきあっていると、そう思うことはありますよね。

兼子 はい。たとえば、算数で「今日はこれやったんだけど、知ってる?」とか、子どもどうしはふつうに言うんですよ。

奥地 それで、くやしかったりしてね。

兼子 そう、あとで泣いてたりしてね。

奥地 そう、そう。だからやっぱり、ちょっとやっておこうみたいな気持ちにはなったんでしょうね。勉強はドリルか何かをしてたんですか?

兼子 算数と国語の漢字ドリルだけだったと思うんですけど、私は興味ないから、ぜんぜんチェックしていなくて……。娘は、私にはいっさい聞いてこなかったんです。

奥地 もっぱら、お父さん?

兼子 もっぱら夫のほうでした。ただ、ほんとうに1日15分〜30分程度で、あとは、夫が「理科の実験をいっしょにやろう」と言って、リトマス紙を買ってきて実験したり、ロボットをつくったり、遊び半分で、理科系のことをやってましたね。

奥地 お子さんのほうも、おもしろいなあと思うこともあったのかもしれませんね。

兼子 娘は、理系も文系も大好きなんですよ。好奇心が強いので、遊び半分でやるぶんには、何でもやりたいし、おもしろいと思う性格なので。


●学校には愛想がつきた

奥地 学校の先生は、何も言ってこなかったですか?

兼子 いや、もちろん学校からは、けっこう言われました。私に対して厳しく言ってきたり、脅したり、意地悪したり……。たとえば、進級させないとか卒業させないということも言われました。

奥地 14〜15年前だと、まだそうですよね。そこで、お母さんが防波堤になられたわけですね。

兼子 そうですね。学校に行くと、「このまま学校に来なければ、一生ひきこもりになって、みんながはなやかに成人式を迎えるころになっても、あなたのお子さんはもうどうしようもないですよ」みたいな言い方をされました。

奥地 そうですよね、昔は無責任にいろいろなことを言いましたよね。私も「登校拒否してるような子は進学できない、就職もできないし結婚もできない」って言われましたからね。それは、実際はぜんぶちがっていたって、あとでわかりましたけどね。

兼子 そう。なんで子どもの可能性をこんなに否定するんだろうって思いました。ですから、私は逆に、ますます学校には行かせたくないって思っちゃうぐらい、愛想が尽きたというか。いろいろひどいことを言うし、約束は守らないし、嘘はつくし……。

奥地 学校は、そうよね。

兼子 最悪なのは「子どもをだまして、つれてきたらいいじゃないですか」って平気で言うんですね。

奥地 えー、ひどいね、それは。それで、小学校の卒業式はどうされたんですか?

兼子 娘は卒業式も行かないで、私が卒業証書を取りに行きました。さんざんイヤミを言われましたけど。

奥地 そうでしょうね。まあ、それに耐えるのが親の仕事だったんじゃないですかね。

兼子 自分のことだったら怒鳴り返してるんですけど、まあ娘のことを考えると、「NO」はハッキリ言いますが、ガマンしたことも多かったです。

奥地 そうでしょうね。


●劣等感を脱けて

奥地 中学校はどうされたんでしょう。小学校のときは不登校していて、「中学からは行くからね」という子もいますけど、娘さんの場合は、どういう気持ちだったんでしょう?

兼子 中学に行く前のころになると、「不登校って、別にどうってことないや」って、劣等感とか、否定感とか、身体的な具合の悪さとか、そういうものからパンッと抜けられた感じだったんですね。なんというか、不登校になってから、娘がちょっとちがう感じに変わってしまっていたのが、また本来の娘にもどって、すごくいい感じになったというか。

奥地 つまり、学校のことはもう気にしなくなったというか、こだわらなくなった。

兼子 そう、こだわらなくなって、あらためて「中学校は行こうと思えば行けるんだけど、どうしようかな」って考えて、地域で学校に行っている子どものことを見て、「中学生は楽しくなさそうだから、行くのはやめた」って。

奥地 「楽しくなさそう」というのは、どこの情報なんですかね?

兼子 地域で中学生を見ていて、そう思ったんだと思います。たとえば、剣道をやっていたので、そこで中学生を見てたりしていたんです。
   
奥地 まあ、自分の判断ということですね。

兼子 はい、自分の判断です。そこで、あらためて、このままホームエデュケーションを続けようと、本人が決めました。
   
奥地 お子さんもホームエデュケーションという言葉は知っていたんですか?

兼子 はい。小3のときから言っていたので。

奥地 娘さんも、ホームエデュケーションという意識でおられた。

兼子 まあ、ホームエデュケーションという言葉は使ってなかったですけど、そういうやり方で行くって感じですかね。

奥地 家で育つあり方があると思っていて、中学でも、そうしようということですかね。

兼子 そうです。

奥地 中学校のあいだは、途中で学校に行ってみようとか、高校受験があるからどうしようとか、そういう揺れはなかったですか?

兼子 それは、まったくなかったです。

奥地 そうですか。中学校のときは、家ではどういうふうに過ごしてたんでしょう。

兼子 小学校6年生のときに、もう不登校という意識からは解放されて、中学の3年間は楽しくて楽しくて、毎日「今日は何しようかな」って笑顔で起きてきて、まあ、いろんなことやって、夜は「あー楽しかった」と言って、寝るような3年間でした。


●習いごとに忙しく

奥地 学校に行かずに家にひとりでいて、それで1日を楽しく過ごして充実するって、なかなか想像しづらい人が多いと思いますけど、どういう過ごし方だったんでしょう。

兼子 そのころには習いごとも増えて、やりたいことがいっぱいある毎日でした。

奥地 なるほど、家のなかに、ずっといるわけじゃなくて。

兼子 そうですね。地域の友だちは、みんな自分たちの学校が忙しくなって遊べなくなってしまったので、今度はホームシューレのサロンに月1回行くようになって、精神的には、すごくホームシューレのお友だちとつながっているという感じでしたね。

奥地 習いごとは、剣道以外は何をなさってたんですか?

兼子 そのころは、ヨット少年団に入って、お天気次第で、毎週土日は海に行っていました。それから、絵や創作が好きなので、図画工作教室とボタニカルアート(植物学的な絵画)をやってました。

奥地 それは週1ぐらいですか?

兼子 美術系は週1〜2回で、剣道は週2でやっていたので、けっこう忙しくしていました。

奥地 けっこう、いろんなところに行って、そこでいろんな人と出会っていたわけですね。


●横浜に通いながら

兼子 はい。ホームシューレのサロンにも、月1回行っていました。そのころは横浜まで通っていました。静岡にはなかったので、4年間くらいは通わせていただきました。

奥地 4年間というのは、けっこう長いですよね。月1回としても何十回も通っていたんですね。横浜はパラソルという名前でやってますよね。読者の方に、ホームシューレのサロンがどういうものか、お話しいただけますか。

兼子 親が自主的に開いている集まりで、各地で「こんな感じで開催しますので、親も子どももどうぞ遊びに来てください」と呼びかけてます。誰かが立ち上げて、世話人のようになって開催するんですね。

奥地 横浜のパラソルは、場所はどういうところでやってたんですか?

兼子 何回か変わったんですけど、そのころは、市の不登校支援の施設を無料で借りて、開催していました。

奥地 当時は、何人ぐらい集まっておられましたか?

兼子 サロンって、子どもの成長に合わせて、すごく人数の波があるんです。娘が行き始めたときは、ちょうど一山越えて、子どもたちが大きくなって卒業して、人数も少なめのころでした。一番少ないときには、ふたりというときもありましたね。でも、また新しい方に声をかけて、少しずつ増えていく時期だったと思います。

奥地 子どもと親と両方が来るような感じですか?

兼子 横浜は、親子サロンなのでいっしょでした。親だけが集まるような場もあります。

奥地 子どもたちは集まって、どんなことをしていたんですか?

兼子 そのころは、絵を描くのが好きな子どもが多かったので、絵を描いたり、ゲームをしたり、おしゃべりをしたり、ですね。娘に言わせると、そのおしゃべりをしながら絵を描くっていうのが「最高に幸せで楽しい」と。だから、それだけで充分で、余分なことはしてくれるなと言ってました。

奥地 なるほど。来ていたメンバーのほとんどは、ホームエデュケーションの意識ですかね。家を中心にやっているよ、みたいな。

兼子 ホームシューレの会員さん中心だったので、ある程度、みなさんそう思っていたと思います。


●自主サロンを立ち上げて

奥地 掛川のサロンは、どういう経緯で始まったんでしょう。

兼子 横浜のパラソルに通って、静岡にもそういう場所があったらと思って、サロンを開きたいと思ったんですね。でも、子どもが集まらないと遊べる場をつくれないですし、その子どもが、最初はなかなか集まらなくて……。

奥地 しんどいと、外に出にくかったりしますしね。

兼子 そうですね。なかなかいないので、親子と知り合うところから始めようと思って、地域の不登校の親の会に出たりしながら、参加者をさがしました。

奥地 不登校の親の会というのは、登校拒否を考える会・静岡ですか?
   
兼子 はい。

奥地 そうすると、ホームエデュケーションの意識ではなくて、いろんな人が不登校のことで来ているわけですよね。そこに参加されて、こういう活動をしていますと紹介をされたんですか?

兼子 そうです。「ホームエデュケーションをやってます」と言って、会に来ているお母さん方に「今度こういうサロンをつくりたいんですけど、お子さんといっしょに参加されたい方はいませんか」って、声をかけてました。でも、なかなか……。

奥地 なかなかね。やっぱり多くの方は「家だけでいいんだろうか?」と思われるし、「どうしたら学校に行けるようになるんだろう」と思いながら来ている方もおられるしね。

兼子 世話人の方にはすごく理解していただいて、力になってくださったんです。だけど、なかなか集まらなくて苦労しました。

奥地 掛川のサロンが立ち上がったのはいつごろですか?

兼子 今年でちょうど10年になりますから、2008年です。掛川の前に、ホームシューレ主催の静岡サロンを3回やってるんですが、そこに集まった人たちで掛川の公民館を借りて、毎月やろうとなったのが掛川サロンです。

奥地 いまやホームシューレのなかで一番大きいサロンじゃないですか? この前、参加したときには40〜50人はいましたよね。

兼子 ふだんは、そんなにいません。常連では、親子合わせて20人ぐらいです。

奥地 でも、10年続くっていうのは、しっかりしています。多くはホームシューレ会員なんですよね?

兼子 はい。ほとんどホームシューレ会員です。最初は入っていなくても、やっぱりホームシューレに入りたいと言って、入ってくださる方がけっこういらっしゃるので、大体はホームシューレ会員です。ホームシューレを退会された方もいますけれど。

奥地 娘さんは掛川のサロンには、どれくらいの期間、行かれてたんですか?

兼子 娘は、立ち上がって1年も経たないうちに県立の単位制定時制高校に行くことになって、参加できなくなっちゃったんです。


●定時制単位制高校に

奥地 なるほど。では、娘さんの話にもどって、中学卒業のころからの話をうかがえますか?

兼子 はい。「中学は行かない」と言ったあと、高校はいろんなタイプの高校があるということを知っていたので、「高校は行こうかな」というのは、わりと早くから言ってたんですね。それで、たまたま友だちで、県立の定時制単位制高校に行っていた子がいて、大学のように授業も好きに選べるし、週に何回行ってもいいし、すごく自由のある高校だと聞いて、「じゃあ、その高校に行ってみたい」となって、見学に行ったり、文化祭に行ったりして、「ここに行く」って、自分でさっと決めちゃいました。県立だったので、いちおう受験して行くことになりました。

奥地 教科受験があるわけですよね。英・数・国ですか? それとも理・社も?

兼子 5科目です。

奥地 へえ、5科目ぜんぶやったわけですね。ホームエデュケーションでやってくると、受験をどうしたらいいか、想像がなかなか難しいという場合も多いですけど、どうやって5教科勉強したんですか?

兼子 とくに何もしてません。中学生になってから、自分で少し教科学習をやってたんですけど、とくに受験勉強はしませんでした。ただ、テストを受けたことないので、テストを受ける練習だけはしようということで、過去問題を買ってきて「これを1時間、座ってやるんだよ」というような練習は、直前にしました。

奥地 そうなんですよね。テスト慣れしてないから、内容よりもテストそのものなのよね。名前だけじゃなくて番号も書かなきゃいけないとか、時間内にやらないといけないとか、でも、そこで「うーん、うーん」って考えてたら、ほとんどできないまま「はい、出して」って言われちゃったとかね。だから、ちょっと練習しているとやりやすいというのは、あるかもしれませんね。

兼子 想像もできないと思うんですね、テストをどういうふうに受けるのかというのは。なので、時間を計って、テストを受ける練習は、何回かしました。過去の問題を買ってきて、こういう問題が出るんだなとか、わかる問題は書けばいいし、できないところは飛ばしていいということとか。

奥地 そうですね。そのぐらいおおらかに「この自分を入れてくれるなら行くよ」ぐらいの感じが、一番うまく行くんですよね。

兼子 秋にも募集があったので、落ちたとしても、どうしても行きたかったら、また秋に受ければいいし、来年でもいいじゃない、という気持ちで受験しました。

奥地 でも、受験したら、パッと入っちゃったわけですよね。

兼子 はい。

奥地 ふだんのいろんな経験から身についているものが、けっこうあったんでしょうね。

兼子 そうですね。国語は、漢字を書く以外はほとんどできるんですね。英語とかはまったくできなかったですけど。

奥地 英語はなかなか厳しいですけど、社会や理科なんて、いろんなことをやってるわけだから、考えたりするからね。

兼子 だいたい半分ぐらいはできていたと思います。


●学校も行ってみたかった

奥地 高校へは、なんで行きたかったんですかね?

兼子 ホームエデュケーションは、ずっとやっていてイヤじゃないし好きだけど、好奇心のある子なんで、学校も行ってみたいということだったと思います。

奥地 高校で何か学びたいってことですか?

兼子 学校に行ってみたいというのは、集団で、たくさん子どもがいる場所で、友だちをつくって遊びたいという気持ちや、学びたいという気持ちがあったと思います。あと、剣道は学校に所属してないと大会に出られないので、部活で剣道をやってみたいというのもあったと思います。

奥地 なるほど。たしかに、そういうこともありますよね。学校じゃないと権利が与えられないみたいな現実がありますからね。

兼子 それと、これは私が思ったことなんですけど、ホームエデュケーションって、すごくいろんなことをやってるんだけど、知識がバラバラなんですよね。

奥地 バラバラ……。系統的に学んでないみたいなことですかね。

兼子 そうです。系統的には学んでないので、一度、系統的な学習をして知識をまとめたいという欲求があったのかなと思います。高校で系統的に学んだことで、自分が今までやってきたことが統合整理されて、すごく落ち着いて、よかった部分はあると思うんですね。

奥地 きっと、そうですよね。授業はどんな感じだったんですか? おもしろいと言ってましたか?

兼子 おもしろいと言ってました。

奥地 やっぱりね。東京シューレのフリースクールのほうでも、学校にしばらく行かないで学校に行った子って、「おもしろい」とか「新鮮」とか言いますね。それと、けっこう質問するらしいんですね。学校にずっと行っていた子は、あんまり積極的に質問しないんですって。「シューレの子はすごい積極的ですね」って言われたことがあります。娘さんの場合も、ほんとうに新鮮だったのかもしれないですね。

兼子 結局、それからは、ずっと学校に関わるようになったんですが、自分で選んだ興味のある授業を受けていたので、どの授業も、どの先生の話も、わりとおもしろくて、授業が楽しかったんです。「この授業、あと2回で終わっちゃう」と、悲しくなるぐらい。先生とのお別れもさびしかったようです。

奥地 高校は、小学校の圧迫される感じとはちがって、自分から求めているし、楽しく充実して学べる空間として捉えられたって感じなんですかね?

兼子 はい。

奥地 それで、せっせと行っていたわけ?

兼子 自分で決めて、自分で行っていました。


●学校もやりたいことのひとつ

奥地 娘さんが高校で力を入れていたものって、何ですかね?

兼子 高校に行く一方で、自分のやりたいことはホームエデュケーションで続けたいというのが娘の望みだったので。

奥地 ほう、そうなんですか。ホームエデュケーションのひとつとして学校へ行っているということですか? 剣道を習ったのもホームエデュケーションのひとつだし、絵を習ってるのもそうだし、学校で学んだり、ほかの子とつきあうのも、家を中心にしながら、学校を活用するぞ、みたいな感じなんですかね?

兼子 そういう意識なんですね。自分のやりたいことのひとつが学校というだけのことでした。ただ、高校に行き始めたら、毎日、家でいろんなことをしていた時間が減ってしまったので、そこが悩みのタネになっちゃって。学校は別にきらいじゃないんだけど、ホームエデュケーションの時間でやりたいことができなくなるのはイヤだと悩んでいました。

奥地 学校って、ずいぶんの時間を占めますからね。まあ、でも非常にいいかたちで、学校を利用したということになりますね。

兼子 そうですね。

奥地 それで、3年で卒業して、その後の進路どう考えたんですか?

兼子 卒業には4年かかりました。毎日は通いたくなくて、ホームエデュケーションのなかの学校利用だったので、最初から4年のつもりでした。4年間かけて、計算通りに単位を取って、卒業しました。


●庭をつくる仕事を

奥地 進路については、在学中から卒業したらこうしようというものはあったんですか?

兼子 はい。中2年齢の13歳のときに、いろいろと家でやってきたなかで、「将来、自分は植物を育てながら庭をつくる仕事をやりたい」と決めたそうです。ある本を読んでいて、そういう考えが「天から降りてきた」と言ってました。

奥地 「これだ!」って思ったんだ。

兼子 そう、たまたま読んだ本で、「これだ!」と思ったんだそうです。

奥地 おうちでも、庭いじりをされていたんですか?

兼子 遊びのなかで、花を買って育てたり、盆栽をしたりしてましたけど、「そこまで植物好きだったの?」という感じだったんですよね。そんなに一番好きなことではなかったというか。ただ、本人からすると、好きだけでなく、自分に適した仕事かどうかを考えたらしいんです。植物を通して人と関わったほうが自分はうまくやれるような気がするとか、外で太陽に当たりながら植物を育てる仕事のほうが室内の仕事よりも合っているとか、自分にとっての適正を考えたそうです。

奥地 なるほど。では、高校もそういう意識から行っていたということですか?

兼子 高校時代も、植物の勉強など自分でしていて、ボタニカルアートは、その勉強の一環としてやってたんです。

奥地 それで、卒業後は?


●イギリスの大学へ

兼子 高校で、意外と学校の勉強は楽しいとわかったので、大学に行ってもいいかなと思って、大学は植物を育てたり庭をつくる関係の大学に行こうかなと思ったんですけど、行きたい大学が日本にはなかったんです。

奥地 日本になかったということは、海外に目を向けたということですか?

兼子 この仕事と思わせた本の作者は、日本在住のイギリス人のガーデンデザイナーさんだったんです。その方の庭に惚れ込んで、「こんな庭がつくりたい」と言っていました。日本の大学では、そういう庭をつくれるイメージがわかない。でも、その時点では、まだイギリスに留学する自信がなくて、いったんは公立大学の国際関係学部へ、センター受験と一般受験をして、行くことにしました。
 それで、大学に行きながらイギリスの大学のことを調べたり、自分の気持ちを確かめたり準備しながら3年の前期までやって、そこからイギリスの大学に留学しました。

奥地 公立大学のほうは?

兼子 休学して、留学しました。

奥地 先ほど、ホームエデュケーションでやってきて、英語は苦手だったとおっしゃってましたでしょう。英語はどうしたんですか?

兼子 高校生になってから、英語は始めました。大学に行くかもしれないって考えたら、高校の授業も英語の授業をちゃんと取らなきゃいけない。だけど、それまで何もやってないから、自分で一から勉強することにして、中学校のドリルや参考書を買ってきて、受験まで2年間、ほとんど独学で勉強しました。

奥地 留学するのはいいけど、英語で授業を受けたり、発表したりしなきゃいけないわけですから、なかなかハードル高いと思うんですけど。

兼子 大学入試も国際関係学部なので、ぜんぶ英語だったんですね。ほかの受験生とは、相当な開きがあったと思いますけど、でも、なんとかしちゃうもんですね。

奥地 やりたかったら、なんとかするもんですよね。うちの子もニュージーランドの大学に入って、建築を学んだんですけど、やっぱり不登校していて、英語なんて、ろくにやってないでしょう。だから、最初はちょっと苦労したみたいですけど、やりたいことはやっちゃうもんですね。不登校してから海外に行く人たちもいる時代になりましたけど、みんな、なんとかしちゃってるんですよね。

兼子 なんとかしなきゃいけないから、なんとかする、みたいな感じでね。

奥地 娘さんが海外に行かれたのは何歳のときですか?

兼子 21歳です。いま24歳で、3年目が終わったところです。

奥地 4年制の大学ですか?

兼子 イギリスの大学は3年で学士卒業なんですが、1年間専攻のちがうところに行ってから、いまの学部に行ったので、合計4年間で、来年で卒業です。

奥地 そうですか。卒業したら、日本にもどって来るつもりなんですかね?

兼子 まだ卒業後のことは考えてないと思います。本人は、あまり先のことは考えないで、1年1年をしっかりやっていきたいそうです。向こうの大学では、園芸とガーデンデザインを学んでいるので、すごく楽しく授業を受けています。

奥地 では、いまは目的を達成中ということですね。イギリスで学んでガーデンデザイナーになるという。

兼子 そうですね。


●学校中心か子ども中心か

奥地 ホームエデュケーションと考えるのと、不登校と考えるのはかなりちがうと思いますが、そこは自分の体験を通してみて、どう思われますか?

兼子 私は、イギリスの本を読んだときから、「ああ、もうこの育ち方でいいじゃん」と思ってしまったので、ホームエデュケーションに頭がすっと行っちゃったんですけど、娘を見ていたら、不登校のダメージを受けて回復するまでは苦しくてたいへんだったので、やっぱり不登校で過ごすのとホームエデュケーションという考え方に変わって過ごすのとでは、かなりちがうと思いました。不登校という考え方でいるかぎり、どこかで学校に縛られて抜けられない。

奥地 学校がくっついてるんですよね。

兼子 私にとって、ホームエデュケーションって、もう学校を捨てちゃって、あとで子どもにプラスになるのだったら、また利用するよ、ぐらいの考え方なんですよね。ほんとうにのびのびと、何というか、自分たちが中心なんです。子どもが中心だし、自分の家庭が中心でやっていく。学校は、あくまで子どもが望んで、子どもに合えば活用するものという考え方です。ですから、学校中心の考え方でいるか、子ども中心、自分の家庭中心でいるか、その基本の考え方のちがいが、すごく大きいと思います。
 私も夫も娘も、ホームエデュケーションで育ってよかったって、心から思っています。家族みんなでハッピーです。

奥地 お父さんもよかったって?

兼子 夫も、あとからは「よかったなあ」って、しみじみ言ってます。

奥地 そうですか(笑)。お子さん自身も、そういうふうに思ってますか?

兼子 もう、まったく。「私はホームエデュケーションで育つのが空気のようにあたりまえに育った」と言ってます。


●ホームエデュケーションの良さは

奥地 日本では、不登校を受けとめることは、やっと少しずつ進んで、不登校への寛容度は上がってきているように思いますけど、ホームエデュケーションというのは、なかなか理解が進んでないように感じますが、そのあたりは、どう思っておられますか?

兼子 そうですね……。不登校は受けとめて、学校には行かなくてもいいけど、でも、いつかどこかで学校に行ってくれるのを待つみたいな考え方の方が多いのではないでしょうか。学校じゃなかったらバイトか仕事で、やっぱり日本社会の流れに乗ってくれるのを待っている方が多い気がします。

奥地 それだけ学校に行くのはあたりまえのことで、学校のイメージが強くて、学校に行かなくなっても、イメージとしては、ついつい学校に行ってる子と比べてみたり、何年生だとこれぐらいやってるのにとか思いがちですよね。
 ホームエデュケーションの良さは、なかなか伝わりにくい。ですから、不登校を受けとめるというよりも、もっと積極的に、ホームエデュケーションもいいよって知らせていきたいですが、育て方のひとつとして、たとえば、どういう点が良さだと思いますか?

兼子 自由ですね!

奥地 何が自由なんですかね?

兼子 自分の心に正直に、自分が自由に生きていけるという感じです(笑)。ホームエデュケーションは、世間とか一般とか基準とかにあまり縛られることなく、自分の子どもや家庭がやりたいこと、進みたい方向に歩いていけるってところが、私は好きかな。

奥地 それがハッピーな感じの元ってことですよね? 無理して合わせたり、がんばったりしなくていいという。一方で、よく「ホームエデュケーションだと社会性が育たないんじゃないか」と言われたりしますけど、その点は、実際にやってきた立場からどうですか?

兼子 うちの場合は、地域社会をはじめ、いろんなところと関わりながら育ってきたので、社会性はまったく心配ないと思うんですね。

奥地 それは意識的にいろんな人と出会うようにされたんですか。それとも、子どものタイプからして、結果的にそうなったって感じですか?

兼子 半分ずつですかね。子どものタイプをうまく活かして、いろいろつながっていこうという気持ちはありました。そのあたりは意識はしました。子どもの性格から偶然こうなったというわけではないと思います。

奥地 そういうやり方で、お子さんの個性も伸びているなと思いますし、ホームエデュケーションであっても、自立していく道筋をちゃんと歩んでますよね。行政に対しては、どういうことを望まれますか?

兼子 私としては学校対応が一番のストレスだったので、ホームエデュケーションを教育のひとつとして国に認めてほしいし、学校に籍を置かなくてもいいかたちになったら、私はうれしいなと思います。

奥地 親の就学義務を学校だけに限定しないで、ホームエデュケーションの家庭はそれを登録制として認めてほしいと。

兼子 私は、登録制にしてもらってもいいと思っていました。

奥地 きちんとは決まらなかったんですけど、教育機会確保法は、視野としてはホームエデュケーションまで入ってるんですね。ただ、学校以外の学びの重要性は認められたけど、システムとしては、親の就学義務は変わっていないんですよね。来年には見直しということもあるので、すぐには無理だと思いますけど、フリースクールもホームエデュケーションも、ひとつの選択肢にできるようにしていきたいなと思っています。今日は、いい話をいろいろありがとうございました。
posted by 不登校新聞社 at 16:44| Comment(0) | 親/親の会
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