2017年03月06日

#14 中島浩籌さん

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(なかじま・ひろかず)
1946年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。同大学院修士課程終了、パリ大学ヴァンセンヌ校で哲学を専攻。東京都立高校教員時代に、いわば教員の「不登校」となって退職した経験がある。その後、河合塾COSMO講師、法政大学非常勤講師、日本社会臨床学会運営委員、YMCAオープンスペースLiby運営委員などを務める。著書に『逃げだした教師の学校論―良心的教師・その権力性』 (労働経済社1986)、『心を遠隔管理する社会―カウンセリング・教育におけるコントロール技法』(現代書館2010)、小沢牧子さんとの共著に『心を商品化する社会―「心のケア」の危うさを問う』(洋泉社2004)。

インタビュー日時:2017年1月23日
場 所:東京YMCA山手コミュニティセンター
聞き手:山下耕平
記事編集・写真撮影:山下耕平
記事公開日:2017年3月6日
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〈テキスト本文〉

山下 中島さんご自身は、子どものころ、学校との関係はどうだったんでしょう?

中島 学校そのものは、それほどキツいとは感じてなかったんですが、それ以前に他人との付き合いが、ほとんどダメだったんですね。10歳ごろ、なぜかわからないんだけど、「他人って自分と同じ人間かな?」と思い始めたんです。でも、いくら考えても確証は持てないですし、まわりの人は、みんな超人間みたいで、「実は自分の心を読んでいるんじゃないか」と思っていました。でも、おふくろに「あなた人間ですか?」と訊くわけにもいかないですしね(笑)。

山下 家族に対しても、その感覚だったんですね。

中島 自分以外は、みんなです。友だちもいるんだけど、しっくりしない。自分と同じ仲間だという意識はありませんでした。でも、スポーツは好きだったんですね。スポーツだと、考える前に動けて、そこで関係ができますからね。
 ときどき、離人感というか、この世界から抜け出して、自分をななめ後ろの上のほうからから見ている感じもありました。リアル感が薄くて、広い意味で解離的だったとも言えるかもしれません。「自分はほんとうに、この世界にいるんだろうか?」と思ってました。
 そんな感じで、自分でも異常なのかなと不安に思っていたんですが、ずっと、人には言わずにいました。他人にそういうことを話したのは、50歳も過ぎたころで、河合塾COSMOに勤めているときに、生徒と話したのが最初でした。たまたま生徒3人と立ち話で、そういう話になって、ひとりの子は「自分の身体はガンダムのモビルスーツみたいで、奥にある操縦席から画面を見ながら自分を操作しているような感じ」と言ってました。私も自身の離人体験を話しました。あれは楽しかったですね。その子も「これ、話していいことなんだ」と言ってましたし、私自身も楽しく話しました。
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2017年03月01日

#13 保坂亨さん

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(ほさか・とおる)
1956年、東京生まれ。1983年、東京大学大学院教育学研究科博士課程中退。東京大学教育学部助手(学生相談所専任相談員)、千葉大学教育学部講師、同助教授を経て、2002年より同教授、2013年より同大学教育学部附属教員養成開発センター長。千葉市教育委員会いじめ等の対策及び調査委員会委員長、子どもの虹情報研修センター企画評価委員。著書に『学校を欠席する子どもたち―長期欠席・不登校から学校教育を考える』(東京大学出版会2000)、『“学校を休む”児童生徒の欠席と教員の休職』(学事出版2008)『いま、思春期を問い直す―グレーゾーンにたつ子どもたち』(東京大学出版会2010)など。

インタビュー日時:2016年10月14日
場 所:東京シューレ葛飾中学校
聞き手:奥地圭子、松島裕之
写真撮影:松島裕之
記事公開日:2017年3月1日

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〈テキスト本文〉

奥地 本プロジェクトは、文部科学省の学校基本調査で不登校(学校ぎらい)の児童生徒数の調査が始まって50年ということで始めたものです。保坂先生は、このあたりを研究されているので、なぜ、この調査が1966年に始まったのか、その時代背景、用語や表現の問題についてなど、うかがいたいと思っています。よろしくお願いします。

保坂 はい、よろしくお願いします。

奥地 そもそも、なぜ不登校に関心を持たれたのでしょうか。

保坂 2008年に『学校を休む℃剴カ生徒の欠席と教員の休職』(学事出版)という本を出していて、その略歴なども読んでいただくとよいのですが、まず何より、自分も学校をよく休んでいたからです。とにかくよく休みました。なぜ不登校に関心を持ったのかと言えば、根っこはそこにあると思います。

奥地 それは、いつごろのことでしょう?

保坂 小・中学校は病気でよく休んで、高校は積極的に休み、大学が一番行かなかったです。大学院からまっとうに通うようになりました。小学校入学は1962年だったので、60年代から70年代にかけてですね。

奥地 なるほど。中学卒業が1972年ですね。そのころのまわりの対応というのはどんな感じだったんでしょうか。病気だったとのことですから、いわゆる「病欠」ということになりますでしょうか。

保坂 そうですね。とくに小学校6年生のときは盲腸で入院して休んでいたので、1年間で50日以上休んでいる数少ない子どもの一人だったと思います。でも、両親が教員だったということもあって、当時は、学校を休むことは、すごくいけないことだと感じていました。学校を休む子なんてほとんどいなかったですからね。

奥地 そうですよね。病気など仕方のない理由があっても、肩身の狭い思いをされていたんじゃないかと思います。ところで、大学院以降のご専攻をお聞きしたいのですが。
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2016年10月06日

#05 大田堯さん

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(おおた・たかし) 1918年生。教育研究者(教育史・教育哲学)。広島県出身。東京帝国大学文学部卒業。東京大学教育学部教授、学部長、日本子どもを守る会会長、教育科学研究会委員長、日本教育学会会長、都留文科大学学長、世界教育学会(WAAER)理事などを歴任。東京大学名誉教授、都留文科大学名誉教授、日本子どもを守る会名誉会長、北京大学客座教授。おもな著作は『かすかな光へと歩む』(一ツ橋書房)、『教育の探求』(東京大学出版会)、『教育とは何か』(岩波新書)、『生命のきずな』(偕成社)ほか多数。2013年、これまでの講演・論文の中から、大田さん自身による大幅な加筆を経た『大田堯自撰集成』(全4巻)を藤原書店より上梓された。また、2011年には、教育を通して人間を見つめ続けてきた大田堯さんの思索と行動の軌跡を追った映画「かすかな光へ」(監督・森康行)が完成し、自主上映活動が展開中。

インタビュー日時:2016年8月29日
聞き手:奥地圭子
写真撮影:藤田岳幸
まとめ:藤田岳幸、奥地圭子

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〈テキスト本文〉

奥地:今日はありがとうございます。よろしくお願いします。

大田:はい。いま、「ひとなる」という題で文章を書いていまして、これはおそらく生涯最後の著述になると思います。出版社が名づけたものですが、「ひとなる」は岐阜県の加子母という村(現在の中津川市加子母)の方言なんです。檜の生産地で、かなり有名な大きな村です。

奥地:『自撰集』(*1)にも出ていましたね。

大田:その序言でも説明していますが、「ひとなる」は「人間になる」ということなんですね。この国では教育の目的というのが、国家のためとか、よい国民になるとか、すぐにそういうところに結びついてしまうんです。そもそも「国民」という言葉もおかしくて、国に属する民で、民というのは僕ということです。憲法にあるから、僕も「国民」という言葉を使いますけど、ピープルとふりがなをつけています。横文字ですけど、これはふつうの人々ということを言い表します。
 昔は「臣民」と言ってましたが、これは神様である天皇に対する民、僕です。教育勅語では、爾臣民という呼びかけになっていましてね、教育という大目的を前に、爾臣民と呼んでいたわけです。もう、そのときから、教育の観念は上から下へのものとして、日本人の身にこびりついているんですよね。教育は、お上が国のためにやることになってしまっているんです。

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posted by 不登校新聞社 at 18:13| Comment(0) | インタビュー:学者