2017年06月09日

#19 堂本暁子さん

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(どうもと・あきこ)
1932年アメリカ合衆国カリフォルニア州生まれ。東京女子大学文学部卒業後、1959年、TBSに入社。記者・ディレクターとして、教育、福祉、ODA問題はじめ、チベットや北極への取材、日本女性マナスル登山隊同行取材など、報道番組やニュース番組の制作に携わる。1989年より2001年まで参議院議員、2001年より2009年まで千葉県知事を2期務めた。著書に『生物多様性』(岩波書店1995)、『堂本暁子と考える医療革命』(中央法規出版2009)『生物多様性―リオからなごや「COP10」、そして…』(ゆいぽおと2010)など多数。

インタビュー日時:2017年4月6日
聞き手:奥地圭子、木村砂織
場 所:堂本暁子さんご自宅
写真撮影:木村砂織
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〈テキスト本文〉

奥地 おひさしぶりです。今日は不登校について、いろいろお聞きしたいと思います。

堂本 私が奥地さんとお会いしたのは、82年か83年だったと思います。どういう経緯だったかは覚えてませんが、水道橋の交差点で「それじゃあ、またね」って言った景色はよく覚えてます。

奥地 水道橋で集会をやったので、そのときに来てくださっていたんですね。

堂本 私がTBSにいたころです。奥地さんに会わなかったら、私は、あんなに登校拒否の子どもの取材をして、番組をつくることはなかったと思います。おたがいに何か相乗効果があったんでしょうね。
 今日、お話しすることを整理しようとメモをつくったんですが、テーマとしては5つほどになりました。まず印象に残っているのは、奥地さんの3人のお子さんについてです。長男さんは、いま、どうされてるのですか?

奥地 いまは科学者です。京都大学を卒業して、東工大の大学院に行って、いまは地球物質科学系の研究所にいます。

堂本 そうですか。 2番目は、渡辺位先生(児童精神科医/1925―2009)のことですね。すごく大きな影響を受けました。3番目は、私が取材した登校拒否の子どもたち。4番目が、国会議員になってから出会った子どもたちです。いまでも覚えているけれど、文教委員会(当時)に東京シューレの子どもたちが傍聴に来てくれたでしょう。子どもたち自身が実際に国会審議を傍聴し、議員に要望して、自分たちの通学定期が使えるようになった(*1)。それは、すごく大きな経験だったろうと思うんです。5番目は、私が千葉県知事になって、県のモデルスクールをつくったりしたことです。

奥地 千葉県の「菜の花スクールモデル事業」で、無料で県の施設を貸してくださいましたね。

堂本 でもね、そのあたりは少ししか覚えてないのです。県のことは、たくさん、いろいろなことをやりましたからね。

奥地 そうですよね。では、その5点を中心に聞くとして、まずは、ご自身のことからうかがいたいのですが。

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posted by 不登校新聞社 at 15:21| Comment(1) | ジャーナリスト・評論家