2017年09月26日

#25 永井順國さん

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(ながい・よりくに)
1941年、広島県生まれ。早稲田大学卒。1964年、読売新聞社東京本社入社、社会部司法・教育担当、解説部次長などを経て、87年から論説委員(教育・文化・ボランティア論担当)。退職後、女子美術大学芸術学部教授(1998〜2007年)を経て、国立政策研究大学院大学客員教授(2007年〜2017年)。専門分野は教育制度・教育政策論、NPO・ボランティア論。著書に『学校をつくり変える―「崩壊」を超える教育改革』(小学館1999)、共著に『危機の義務教育』(読売新聞解説部/有斐閣1984)、『英国の「市民教育」』(日本ボランティア学習協会2000)などがある。文部省教育課程審議会委員、生涯学習審議会委員、中央教育審議会臨時委員、文化庁高松塚古墳壁画劣化原因調査検討会座長、文部科学省フリースクール等に関する検討会議座長などを歴任。現在は、放送大学教育振興会理事、国立青少年教育振興機構運営諮問委員などをつとめている。

インタビュー日時:2017年7月18日
聞き手:奥地圭子
場 所:東京シューレ葛飾中学校
写真撮影:木村砂織
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〈テキスト本文〉

奥地 今日はよろしくお願いします。まず、永井さんは何年生まれでしたでしょうか。

永井 1941年(昭和16年)です。

奥地 あ、私といっしょですね。

永井 奥地先生は広島県三原市出身で、三原高校を出ておられますでしょう。私は忠海高校を出たんです。

奥地 存じています。同郷の衆ですね。どちらも広島県で近隣の高校にいたことになります。忠海高校を出たあとは?


●新聞記者として

永井 早稲田大学に行きました1960年入学です。60年安保の年でした。大学を1964年に卒業して、読売新聞社に入って、1998年に退職するまで、34年間いました。

奥地 退職後は?

永井 女子美術大学の教授になりました。美術大学教授というと芸術系みたいに聞こえますけど、私は教養系で、教職課程も受け持っていました。2007年、65歳の定年まで勤めて、その年の4月に、政策研究大学院大学の客員教授になりました。それも、今年(2017年)3月で退職しました。

奥地 最近では、文科省のフリースクール等に関する検討会議の座長をされてましたね。それ以外に、どんな委員をされてきたんでしょう。

永井 文部科学省の中教審(中央教育審議会)で、初等中等教育分科会、教育制度分科会、大学分科会、生涯学習分科会に関わりました。

奥地 不登校に関わられたのは、学校不適応対策調査研究協力者会議(*1)ですね。

永井 その最終報告(1992年3月)に関わりました。

奥地 その委員になられたのは、読売新聞で教育や不登校について書かれていたからだったのでしょうか。

永井 1976年から、社会部記者として教育問題に携わるようになったんです。その後、文部省(当時)記者クラブに所属しました。教育問題を担当して、連載をやったりしていました。文部省記者クラブ詰めは3〜4年、その後も社会部、解説部記者として教育を担当していました。

奥地 うちの子が不登校になったのは78年ですが、そのころには、いじめや校内暴力が、けっこうありましたね。
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posted by 不登校新聞社 at 16:46| Comment(1) | ジャーナリスト・評論家

2017年06月09日

#19 堂本暁子さん

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(どうもと・あきこ)
1932年アメリカ合衆国カリフォルニア州生まれ。東京女子大学文学部卒業後、1959年、TBSに入社。記者・ディレクターとして、教育、福祉、ODA問題はじめ、チベットや北極への取材、日本女性マナスル登山隊同行取材など、報道番組やニュース番組の制作に携わる。1989年より2001年まで参議院議員、2001年より2009年まで千葉県知事を2期務めた。著書に『生物多様性』(岩波書店1995)、『堂本暁子と考える医療革命』(中央法規出版2009)『生物多様性―リオからなごや「COP10」、そして…』(ゆいぽおと2010)など多数。

インタビュー日時:2017年4月6日
聞き手:奥地圭子、木村砂織
場 所:堂本暁子さんご自宅
写真撮影:木村砂織
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〈テキスト本文〉

奥地 おひさしぶりです。今日は不登校について、いろいろお聞きしたいと思います。

堂本 私が奥地さんとお会いしたのは、82年か83年だったと思います。どういう経緯だったかは覚えてませんが、水道橋の交差点で「それじゃあ、またね」って言った景色はよく覚えてます。

奥地 水道橋で集会をやったので、そのときに来てくださっていたんですね。

堂本 私がTBSにいたころです。奥地さんに会わなかったら、私は、あんなに登校拒否の子どもの取材をして、番組をつくることはなかったと思います。おたがいに何か相乗効果があったんでしょうね。
 今日、お話しすることを整理しようとメモをつくったんですが、テーマとしては5つほどになりました。まず印象に残っているのは、奥地さんの3人のお子さんについてです。長男さんは、いま、どうされてるのですか?

奥地 いまは科学者です。京都大学を卒業して、東工大の大学院に行って、いまは地球物質科学系の研究所にいます。

堂本 そうですか。 2番目は、渡辺位先生(児童精神科医/1925―2009)のことですね。すごく大きな影響を受けました。3番目は、私が取材した登校拒否の子どもたち。4番目が、国会議員になってから出会った子どもたちです。いまでも覚えているけれど、文教委員会(当時)に東京シューレの子どもたちが傍聴に来てくれたでしょう。子どもたち自身が実際に国会審議を傍聴し、議員に要望して、自分たちの通学定期が使えるようになった(*1)。それは、すごく大きな経験だったろうと思うんです。5番目は、私が千葉県知事になって、県のモデルスクールをつくったりしたことです。

奥地 千葉県の「菜の花スクールモデル事業」で、無料で県の施設を貸してくださいましたね。

堂本 でもね、そのあたりは少ししか覚えてないのです。県のことは、たくさん、いろいろなことをやりましたからね。

奥地 そうですよね。では、その5点を中心に聞くとして、まずは、ご自身のことからうかがいたいのですが。

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posted by 不登校新聞社 at 15:21| Comment(4) | ジャーナリスト・評論家